魏の武将。
元は胡烈の配下であったが、司馬昭へ推薦された際に鍾会に気に入られ引き抜かれる。
蜀征伐戦では鍾会の腹心として武功を立てるが、鍾会が姜維と組んで反乱を起こすと、かつての主でこの時投獄されていた胡烈と通じて
「鍾会は大穴を掘り、棒を数千本用意し、よその兵を順番に棒で殴り殺して、穴に投げ込むつもりらしい」
というデマを流して混乱を誘発し、その一方で胡烈の身内で投獄されずにいた胡奮、胡淵とも組んで反乱を鎮圧した。
それ以外の事績については特に記録がない。
字すら不明なことから恐らくはあまり身分の高くない下級士官であったと思われるが、勇気と機転で一時の輝きを放ち、見事歴史に名を残すに至った男である。