正史での華雄は呂布と共に董卓軍の武将・胡軫の配下将として登場し、陽人の戦いで孫堅に討ち取られるだけの記述にとどまる。
一般的に知られる虎牢関・汜水関での活躍は演義によるもの。
演義では胡軫よりも格上の将軍として登場。
破虜将軍の鮑忠(鮑信配下にして実弟)、祖茂(孫堅配下)、兪渉(袁術配下、袁紹配下とも)、潘鳳(韓馥配下)といった武将達を次々に討ち取り、反董卓連合を大混乱に陥れた。
これだけ聞くと大層な豪傑だが、そもそも祖茂以外は演義にのみ登場する人物であり、この後に関羽を引き立てる為の壮大な前フリであった事は想像に難くない。
なお中国の研究書「三国志集解」によると、「華雄」は正史の誤記であり、正しい姓名は葉雄(ようゆう)であったという。
また正史では都督とされているが、これも実際には「都尉」であったのではないかと指摘されている。
創作でも大抵は噛ませ犬的存在だが、「実は倭人であった」(覇-LORD-)など、変わった扱いを受ける作品も存在する。