夏侯淵の六男。演義では三男(これといって記録のない長男と、登場時以前に早世している兄たちがいなかったことになっているため)。
曹叡の代に、他の兄弟ともども関内侯の爵位を受け取っている。
父はバリバリの武官、演義でも蜀対策に従軍するため将軍のイメージはあるが、
正史ではインテリの傾向が強い人物。
幼少時から学問に優れ、特に弁論・文章を得意とした逸話を多く持ち、
かねてから認めていた劉劭という人物を推挙するために美辞麗句を上手に用いて上奏文を書いたり、
鍾会の兄・鍾毓と度々議論を交わしては意見を採用されていたという。