一介の肉屋の店主ながら、妹が後宮入りしたことで成り上がり大将軍にまで出世した人物。
妹(後の何皇后)が後宮入りする際に賄賂を駆使しており、平民とはいってもそれなりに裕福な家ではあったと思われる。
大将軍に就任したのは黄巾の乱が勃発した時であるが、兵学の心得などは無かったため、
実際は皇甫嵩、朱儁、盧植と言った諸将が討伐に赴くことになる。
霊帝が崩御した直後、劉協を支持していた宦官・蹇碩によって暗殺されかけたこともあり袁紹と共に宦官誅殺を企むが、
(後宮入りの際に世話になったこともあってか)妹の猛反対を受けて及び腰になってしまう。
また、宦官と一触即発の事態になっても本人に警戒心がなく、迂闊に宮中に入った所を宦官に殺されてしまっている。
ただし、日頃部下には優しく接していたため部下からの支持は厚く、
その死に怒った部下たちは袁紹の指揮の下宮中に乗り込んで宦官を誅殺している。
横山光輝三国志で彼の登場から退場シーン、そして何皇后や少帝に関する台詞は初版と重版版で絵や台詞が所々差し替えられている。
初版では「ブタ殺し」と呼ばれたり(何皇后や少帝も)、実際に豚を吊るす、本当に豚を殺しているところを描く肉屋時代のコマがあったり
少々グロテスクだったり差別的な言動が多かったのだが、
恐らく時代の流れに則さないということでマイルドな絵や台詞に変更されている。
台詞の不自然さや吹き出しの余白の多さなどに不自然さを感じた読者も多いのではないだろうか。
1990年刊行の同作で既に差し替えられているため、それ以前に出版された横山三国志はややレアアイテムである。
その割には1991年刊行分の「横山光輝三国志事典」では、何進の紹介に「屠殺業を営む」と書かれているあたり、媒体によっては表現の規制が曖昧だった。
また、「曹操孟徳正伝」では、(宮中の噂で)妹である何太后と性交した挙句に妹を妊娠させており、
少帝こと劉弁は何進の子供であるという設定がある。
ちなみに、魏に仕えた学者で曹芳の代には曹爽に付いて司馬懿と政争を繰り広げた何晏は孫に当たる。