演義で五虎大将軍に列された勇将。
五虎大将軍の元ネタは、正史で「関張馬黄趙伝」として蜀漢建国期の代表的な武人が列されたことにあるのだが、
他の四名に比べると彼個人に関する記述は非常に少ない(子を早くに失っており、黄忠の代で家が断絶したためとみられる)。
大きな武功の記録も良く知られる定軍山での大活躍のみなのだが、それだけでこの錚々たる面々に名を連ねるあたり、
劉備軍にとって定軍山で大勝を挙げたこと、曹操軍の大幹部たる夏侯淵を討ち取ったことがどれほど大きかったかが窺える。
「士大夫以上には傲慢だった」とされる関羽がその傲慢さを発揮した対象としても知られており、
漢中王を名乗った劉備が黄忠を後将軍に任命しようとすると、前将軍に任命されていた関羽から
「あんなジジイと同列なんてお断りだ!」と文句を言ったとされている。
あまりに記述が少ないため正史では生年不詳であり、
他の武将たちとの年齢差も、そもそも実際にジジイだったのかもハッキリしないのだが、
演義をはじめ今日も幅広く見られる老将としてのキャラ付けは上記の関羽の文句が全ての発端であるとも言われる。
中国でも三国志を代表する老将というイメージは完全に定着しており、
老いてなお意気盛んな人物に対し敬意と感嘆を込めて称する「老黄忠」という言葉が今も残っている。