人物紹介 / 黄月英


黄月英

河南の名士・黄承彦の娘にして諸葛亮の妻。
月英の名は民間伝承によるもので(黄婉貞と記述する作品もある)、史実での本名は記録に残っておらず不明。
演義では諸葛瞻の母とされているが、史実でそうであったかは明らかにされていない。
(ただし諸葛瞻は諸葛亮が晩年になって出来た子のため、荊州時代から連れ添っていた彼女が母の可能性は低い)

「襄陽記」によれば、黄承彦が娘を諸葛亮に紹介する際に
「金毛色黒で美人とは言えないが、才知は君にも釣り合うだろう」
と言ったとされ、一般的に知られる醜女にして賢妻という人物評は概ねこれが根拠であろう。
容姿については諸葛亮が周囲の人々に
「孔明の嫁選びを真似るな。ブサイクな嫁をもらう羽目になるぞ」
と嗤われていたという話が知られている。
ただし本作でのフレーバーテキストに書かれるように、「金毛色黒」という記述から異国人との混血のため髪や肌の色が当時の基準で美しくないとされた、
本当は美女だったが不細工に見えるような化粧をして見た目で寄ってくる男を遠ざけていた、などの説も存在する。

1992年~1994年に東映配給で上映されたアニメ映画『三国志』3部作の第二部『長江燃ゆ!』では、黄月英の立ち位置として「秀蘭」というオリジナルキャラが登場する。
諸葛亮が在野にいた頃から世話を焼いていた女性で、器量は良くなかったが、諸葛亮は草盧を出る際に「必ず迎えに行く」と伝える辺り、好意を抱いていたのは確かである。
一番怪しまれない立ち位置のためか、単身呉軍陣地にやってきて諸葛亮に劉備の手紙を渡し、自分の手のひらに書いた「火」の文字を見せ「呉の国にいる「鳳雛」にあったらこの事を伝えてほしい」と言伝される事となる。
その後龐統と出会い、諸葛亮の言伝を伝える事となる。
赤壁の戦いが終わり、劉備が益州に進軍する直前、龐統の空気を読んだ計らいで秀蘭と結婚する事となった。

一方の知識面については、史実で諸葛亮が担当していた分野のうち技術開発に長けていたとされており、
輸送道具の木牛・流馬は彼女の発明であったという説も存在する。
演義では諸葛亮に数々の助言を行う賢妻ぶりを発揮しており、各種創作では彼女の策を諸葛亮がそのまま採用してしまう事も。

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