正史、演義ともに赤壁の戦いにおける最大の功労者。
流石に正史で苦肉の計は使っていないが、偽りの投降で曹操軍を油断させたというところは同じである。
正史では火攻めを仕掛けた後の後日談があり、この後で敵の流れ矢に当たり長江に落ちてしまう。
何とか救出されたはいいが、ただの老兵と間違われてしまい韓当が気づくまでトイレに放置されてしまったという。
赤壁での活躍が目立つ一方でそれ以外での活躍が取り上げられる事は少ないが、これは領内の山賊や異民族等の反乱の鎮圧を主任務としていた為。
一見地味な活躍のように見えるが、史実において山越を主とした異民族は孫呉にとって最大の脅威と呼んでも過言ではなく、
精強な彼らが頻繁に起こす反乱・抵抗への対処は、黄蓋ほどの実力・実績を持つ将でなければ務まらなかったというのが実情。
武勇のみならず領民の統治・慰撫にも長けていたらしく、彼が治めた地域ではその善政っぷりに反乱の中心的勢力である山越族でさえ彼を慕う人間が居たという。