元会稽太守にして王粛の父、王元姫の祖父。
朝廷より会稽太守に任命されると、任地で善政を布き民に支持される。
孫策が攻め込んでくると虞翻に亡命を勧められるも却下し抗戦するが、善戦むなしく敗れ捕らえられている。
太守としての治世が評価されたことと謙虚な態度から許された後、曹操の招聘を受け許都に赴く。
そのまま曹操に仕えるが、一方で孫策にも劉繇の遺族を厚遇することを進言している。
その後は魏の高官として曹叡の代まで仕えている。
一方で演義では史実とは逆に狭量で凡庸な人物として描かれており、
会稽太守時代には孫策への降伏を勧める虞翻を追放して厳白虎を支援したり、華歆と共に献帝へ禅譲を迫ったり、
馬謖の離間策にかかって司馬懿を追放したりと散々な扱いをされている。
挙句には、諸葛亮の北伐では楚の武将・季布(劉邦を論破し、その上で劉邦の軍も撃破した)を気取ってか、
諸葛亮相手に舌戦を挑むも逆に論破され、その場でショック死するという最期が描かれている。
光栄の『三國志孔明伝』ではこれがイベントで再現されており、論戦に応ずると、その後の選択に関係なく王朗の死が確定する。
それに先んじてかは不明だが、光栄の三国志2ではシナリオ1開始直後に王朗が他国に出向いた先で捕縛→斬首という光景がさながらオープニングイベントの如く多発する。
これが王朗にとってはトラウマなのか(?)、後のシリーズでは彼の支配都市である会稽に引きこもるルーチンになった。
更に光栄の三国志5では、シナリオ1「黄巾の乱」にて2においてよく捕縛→斬首していた陶謙の配下になっている。
しかも陶謙配下の中で最高の武力というあまりにも悲しい有様である。
ゲーム以外の部分でも曹豹や徳王(厳白虎)のようなカルトな人気があるわけでもなかったため、コーエーがかつて刊行していた雑誌で取り上げられる事すら稀であった。
王朗の明日はどっちだ。