王淩の妹にして郭淮の妻。王允の姪に当たる。
夫が対蜀戦線の司令官として西方へ赴任するとそれに付き従ったようである。
兄が司馬家の専横を憂いて皇帝廃立を画策したが失敗し、自害すると連座の対象として出頭命令が下る。
配下の諸将や羌族など異民族からの信望が高かったようで、助命を嘆願されるも郭淮は一度却下する。
しかし送り出した矢先に子供たちまで額から血を流すまで叩頭して嘆願したため、翻意して身柄を取り返し、
「子供たちは母に殉じるつもりであり、母を失えば自害するでしょう。
そうなれば私も存在意義を失うので身柄を取り返しました。法律上許されないなら私を罰して下さい」
と司馬懿に弁明する。司馬懿もこの話に心を動かされたようで、赦免されている。