後漢末期の南匈奴の単于(王)。
元々漢王朝や漢民族とは特に敵対していなかったらしく、黄巾の乱の時には官軍側への援軍として出陣していたり、
反董卓連合結成時には袁紹と共に戦っていたりする。
三国志に記される時代の後は八王の乱、晋王朝衰亡、五胡十六国時代と続くのだが、
その五胡十六国時代の先駆けとなる漢(後に趙と改名、後世の歴史上では前趙と呼ばれる)王朝を建国した劉淵は、孫にあたる。
なお、匈奴が国号を漢とした根拠は過去に漢王朝と姻戚関係があったためで、
劉淵の父(つまり於夫羅の子)で董卓の死後、蔡琰を攫って側室にした左賢王・劉豹の代から劉姓を名乗っている。