龐徳の子の一人。
曹丕が魏王朝を建てると、父の功績が評価されたことで3人の兄弟とともに関内侯に取り立てられる。
諸葛誕が反乱を起こす際に誘われたものの拒否し、逆に鎮圧部隊として参加し功績を上げている。
その後鍾会率いる蜀征伐軍に従軍し、蜀滅亡後に関羽の一族を皆殺しにしたという。
さらに蜀に埋葬されていた父の亡骸を持ち帰り鄴に埋葬したとされる。
ただし蜀滅亡後の彼の行動については信憑性が低く、特に龐徳の亡骸を持ち帰ったことについて、
裴松之は「龐徳の墓は元々魏領内にあり、遺体もそこに埋葬されていたはず」として否定している。