鄧艾の子。
段谷の戦いで父が大いに武功を挙げたため、子の鄧忠も亭侯となり、以後は父の指揮下に入り武将として転戦する。
演義では父に劣らぬ武勇の持ち主として描かれるが、正史・演義ともにその動向はほぼ父に準じ、
鍾会らの陰謀によって叛逆者の汚名を着せられ、最終的に謀殺されてしまうところまで父と一緒である。
カード裏には「諸葛瞻との戦いで一度敗れて父の叱責を受けた」とあるが、
この時の鄧艾の怒りは凄まじく、あわや鄧忠は実の父の手によって処刑されかかっている。
(実際、蜀軍の防衛線を避けて成都を一気に急襲するという鄧艾の作戦は速度と勢いが命であり、この一敗は作戦そのものが根本から破綻しかねないほどの致命的失態であったと見られる)