人物紹介 / トウ芝


鄧芝

劉備の蜀入り後に仕えた配下の一人。光武帝に仕えた名臣・鄧禹の子孫であるとされる。
三国志大戦では旧版も含めて中性的な若い容姿で描かれるが、実際は諸葛亮よりも年上だという。

劉備が没して劉禅が即位した頃、蜀は魏、呉両方と敵対している状態であった。
そのため諸葛亮が呉との関係に悩んでいたところへ呉と友好を結ぶべきだと進言すると、使者に任命される。
蜀との友好回復には消極的だった孫権を巧みな弁舌で説き伏せて同盟締結にこぎ着け、本人も孫権に気に入られる。
このような大役を果たす剛胆さにより、諸葛亮の北伐に従軍して趙雲の副将を務めるなど武官・将軍としても活躍している。

演義では外交の場面でその胆力を強調されており、
孫権が屈強な大男を門番に立たせるなどあの手この手で脅そうとするが彼は笑みを崩さず通り過ぎるのみ。
しまいには大釜を用意され(釜茹でにするぞと)恫喝されるが、
全くひるまず平然と「命がけで同盟を成立させる」と言い放ちそれに飛び込もうとする。
さすがの孫権も感服し蜀呉同盟の再締結にこぎつける、という下りになっている。

なお正史には、清廉さが過ぎて妻子に貧しい生活を余儀なくさせたり、
剛胆がすぎる余りプライドも高すぎて直言が多く、他者を高く評価することが少ないため士大夫との付き合いに難があったりと、
一個の人物としては融通の利かない残念な一面も書かれている。

彼の死に際しては不思議な話が伝わっている。
鄧芝は弩の練習を好んでおり、ある遠征の帰りに木の上にいた猿の母子を見つけると、何気なく弩を射かけた。
矢は見事母猿に命中したが、子猿は母に突き刺さった矢を抜き、傷口を木の葉でふさぎ手当てをしようとした。
これを見た鄧芝は、猿にすら母を思う心があると言うのに徒に生物を傷つけてしまった、と己の残虐性を深く悔い、「自分はきっともう長くない」と嘆息して弩を水中に捨ててしまった。
そしてその言葉通り、数年後に亡くなったと言う。

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