呉を代表する文人・政治家。
儒学や暦学に精通し、孫権の良きアドバイザーとして活躍したが、曹丕の若死にを予言(しかも的中)するなど、一風変わった博識も披露している。
演義では、弁舌に優れた人物として描かれ、政治面より戦場でのやり取りがクローズアップされている。
特に、赤壁の戦いのさなか、苦肉の策を疑う曹操相手に、弁舌による謀略を成功させたことで有名だが、
夷陵の戦いを前にして、周囲に侮られていた陸遜を推挙し、後の大勝に繋げる場面も与えられている。
ゲーム中の計略名については、国の命運を賭けて、呂蒙の後任に陸遜を推したことに由来しているものだろう。
当時は「浮屠」と呼ばれていた仏教を信仰しており、自身の字を取った「徳潤寺」という寺院を建立したとも言われている。