仮面ライダークウガ:EPISODE 08 射手


『仮面ライダークウガ』EPISODE 8 射手

あ、良かった。

あーあーあー、これはいいや、なんかこー、ばらんばらんだったものが、五代クンが実加ちゃん(潔いほど現金に名前呼びネ)に会うところまでで、すーっと集結していくような雰囲気でした。
本当に、なんとなくバラけてたんだよ。
全てがどうしようもないってほどに絶望的でないにしろ、どっちもこっちもなんかぎくしゃくっていうか、上手くいかない感じがあって。

画像の力ってこういうのを言うのかな?

これは少なくとも、小説では不可能ではないにしても、難しいなぁと思わされました(私は文章ともっとも親しい性質なので、文字に「変換」する癖があります)。
いや、画面上でも難しいものなのかなぁ。


「被害者の娘:実加ちゃん」て存在の、役者さんの中にではなくて、設定の中にリアリティがあったから、この話は成立したんだと思います。
彼女の不満も。
彼女が取ろうとした行動も、けして、何一つ間違っていなかったことが、彼女が私にとって身勝手に見えなかった理由でしょう。

警察に予告をしたのも、その後の「死」を切り札にするため。

自分が死んだら、それは抗議の形となって、父親の捜査が進む(かもしれない)っていうこと、子どもだから、意見すら聞いてもらえないから。
子どもっぽい行動に見えましたけれど、けしてそうじゃない。
自分の置かれた状況を、理解していないと出てこない決意ですよ。

しかも、そのきっかけになったのが、誰も、きちんと話を聞いてくれないということなんですから、それすら見当違いじゃあない。


それで、でも、そんな理由じゃ死ねないんですよね。
だって、冷静な思考ですもの、感情的に怒りに任せてなら「当て付け」でなら、死ぬ振りくらいは出来たかもしれませんけれど、もっとあの子は諦観していた。
だから死ねないんですよ。
だって、死ぬことってやっぱりどうしても愚かさだもの。

んでもって、だから「死ぬような子じゃないですよね」なんですよね。
五代クンが、彼女のおかーさんに確認した言葉です。

別段、なんてゆーか、実加ちゃんを見ていて思ったとかいうよりも、そーでなくて、死を本当の意味で悼むことが出来るのなら、強いって考えたんじゃないかな。
私なら、そーゆーふうに判断します。
我が侭じゃなくて、自分の言葉が届かないことをわかっているからこその嘆きってのは、勘違いじゃない。そして間違っているかもしれないけれど、やっぱり強い。

だから、死ねない。と。


奇麗な話でした。
(まあ、万人向けってわけじゃないかもしんないけど。むにー。)

で、まあ、実加ちゃんに掛かり切りになってる五代クンやら、ぱっぱら飛びまくる蜂さんやらを探して探して、親子連れを助けたり、実加ちゃんを庇ったり。
クウガたんに銃を渡したりと大活躍でした。一条さん。

うんまあ、貧乏籤とも言いそうな気がするけど。


五代クンの「大丈夫」の威力は、まだよー私にはわかりません。w
ただただ、とりあえず、できることをできる限り皆でっ、ていう姿勢にはなんつーのか頭が下がるんですよ、特に見習って下さい一条さん。貴方が細かな指示を出しているのを見たことがありません、つか独走癖はそこそこ直ってる気がしますが。
いかんせん危機的状況になるとどーかわかんないところがっ。

「全部」に気を配る。
皆を皆で、出来る限り救うってのは、すごく健全ですよね。


私が一番欠けて生まれて、私が一番欲しいものがそれなんですよー。
なんかちょっと身に沁みました。
でも、五代クンの中の人もわりと私と資質近いと思うんだけどー、なんちゅーかいーなー、“五代クン”演れて。


海の音と、羽音、そして案外副音になっちゃっても響きのいい一条さんの声だけが響く、静かな戦闘シーンがなーんか素敵でした。
弓もボウガンと引き弓の中間みたいので満足満足。w

しかし、実加ちゃん探しが蜂さんを倒す役にまで立つってのはー。

まあいっか。w

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