ただいま


2007/04/05

あっという間に1年の1/4が終わってしまいました・・・。
3月は、いろんな方との出会いの月でした。ネットでも、リアルでも、いろんな方と知り合うことができて、楽しい時間を過ごすことができました。
さて、4月はどんな月になるのかなぁ? とりあえず、お稽古と出囃子の仕事、がんばらねば! あ、あと読書も(笑)。

2007/03/02

2月は、ずいぶん出歩いたような気がしたのですが、落語は3回しか聴きに行っておりませんでした。談春師の会があまりなかった上、チケットがとれなかったせいですかね・・・。
じゃあ、何を?と思ったら、歌舞伎・文楽・長唄の演奏会でした。
文楽は、チケットがとりにくいとの定評があり、端からあきらめていたのですが、平日にたまたま住大夫さんが切り場を語る「摂州合邦辻?」のチケットがとれたので、無理やりでかけました。やはり、文楽の大夫さんと三味線弾きさんの浄瑠璃はすばらしいな!と思いました。1部と3部は、結局その気になるのが遅すぎて、見られなかったので、5月はがんばって、チケットとろうと思います。
歌舞伎は「仮名手本忠臣蔵」の通しでした。通しで見たのは、多分、初めて。大序の口上人形とか、役者さんが浄瑠璃の語りにあわせて、人形から命を吹き込まれていく様が、儀式めいた古風な味わいで、とても楽しかったのは、収穫です。そして、やはり七段目! 吉右衛門さん・仁左衛門さん・玉三郎さんと、これ以上今はないかも?という顔合わせは、とても華やかで、大歌舞伎らしい舞台でした。千秋楽前に、この幕を見るために幕見に行ってしまいました(笑)。
長唄の演奏会は、「伝の会」という長唄三味線方のお二人がなさっているユニットの本公演(唄方さんをゲストでお招きして、普通に長唄を演奏+トーク・解説あり)と、長唄協会演奏会を。「伝の会」は、2プログラムあったのですが、これまた決断が遅くなってしまい、1公演しか聴けませんでしたが、松永鉄十郎先生がタテ唄のすばらしい「蜘蛛拍子舞」を聴くことができて、感動しました。長唄協会の演奏会は、創立80周年記念演奏会。知人が「四季山姥」のタテを唄われるということ、お囃子の先生が出演されているということもあり、午後から終演まで、ひさびさにプロの方の長唄をたくさん聴かせていただきました。中でも、もともと女流の演奏ということで、あまり期待していなかった(汗)のですが、先生の師匠と先生が出演されているし、ということで聴かせていただいた「新曲浦島」が、大変すばらしかったです。
3月は、落語いくつかと、歌舞伎は「義経千本桜」の通し。これまた楽しみです。

2007/02/02

1月末は、怒涛の芝居・落語の日々でした。それも、すばらしいものばかりを拝見することができて、お財布と体力は少々辛かったのですが、そんな辛さを思わず忘れさせていただきました。
落語では、今年は志の輔らくご in PARCO@PARCO劇場の全プログラムを拝見できたのが、とても嬉しかったです。中でもとくに其の壱の「中村仲蔵?」と其の参の「狂言長屋?」は、本当に拝見できて、よかった!!と思いました。普段の「志の輔らくご」とはまた違った、PARCOならではの演出が随所にあり、この空間でだったら、何でもアリだな!と思いました。
お芝居では、やはり勘三郎さんと玉三郎さんの「喜撰」。千秋楽に思わず幕見にもう一度駆けつけたのですが、これもまた拝見してよかった〜!!という一幕でした。
それに付随して。久しぶりで、歌舞伎座向いの文化堂レコードさんにお邪魔して、社長さんと再会を果たし、恩師や知人の近況をおうかがいし、「四世吉住小三郎全集」を購入しました。このCD、コロムビアでかつて出ていたLP全集をデジタルリマスターして、さらに新しい音源も加えた、充実のボックスセットです! 小三郎=浄観のおそらくもっとも油の乗った時期の録音が多数。もう、感動!でございます(笑)。
そのとき、社長から「やっぱり、こっちの世界に戻ってきたんだね〜」と言われたのは、昔をご存知の方だけに、自分のことながら、改めてしみじみしてしまいました・・・(笑)。
そして。なんといっても、歌舞伎座で行われた「望月朴清 古典囃子継承の会」で、堅田喜三久先生の演奏と、お孫さんを囲んだ親子三代の演奏を聞かせていただけたのが、大収穫でした。喜三久先生といえば、鼓!という印象を勝手に抱いていたのですが、いやはや、太鼓もすばらしい!!!です。そして、その素晴らしい太鼓をそっくり受け継いで行くんだろうな〜というお孫さんの「俄獅子」の太鼓がまた、大変結構でした(思わず、自分のお稽古がとても空しく思えてしまいました・・・これは比べるほうが間違いというのは、もちろんわかってはいるのですけど)。天才少年誕生の瞬間(すでに、デビューされていたのかもしれませんが・・・)に立ち会えたこと、とても嬉しく思っております。

2007/01/24

あっと言う間に1月もはや、あと1週間!?
月の前半は、快調な読書ペースだったのが嘘のように、このところ、はかどりません。なんでだろう?と思ったら、お囃子のお稽古が、固まっているからでした・・・。お稽古に伺うまでは、前回の復習、お稽古が終わると次回に向けて、また復習のため、MDを繰り返し聞いていたり、附けもどきを作る作業をしていたり、ということで、本を読む余裕がほとんど無いのでした・・・。来月のお稽古予定がどうなるか? それによって、また、当分、本読みからは遠ざかりそうです。
1月は、落語の予定が目白押しになってしまい、お芝居の方は、歌舞伎座は幕見しか行けませんでした。まぁ、拝見したかった演目はだいたいクリアしたので、良しとしましょう。先生が舞台で鼓を打っていらっしゃるところも、初めて拝見できましたし。三味線の師匠にも言われることですが、やはり、佇まいというか、所作の美しさというのは、大切だな〜と、改めて思いました。”綺麗ごと”じゃないといかんです。

2007/01/03

あけましておめでとうございます。
2007年は、歌舞伎と邦楽の演奏会にももっと足を運びたいなと思っております。
歌舞伎座が11月いっぱいで閉めて、建替えに入るということもあり、歌舞伎座の見納めというのもありますが、2006年後半に、結構息切れしてしまい、歌舞伎を見損なってしまったのが、悔やまれるもので・・・。
邦楽の演奏会は、ずいぶん行っていないのですが、お囃子のお稽古を始めたため、また、いろいろと聴きたいなぁという気分が盛り上がっております。手始めは、朴清先生の会になりそうです。国立の鑑賞教室は、うっかりしている間に、売り出されてしまって、あっという間の完売だったそうなので・・・。
本の方は、「坪内道」にももう少し力を入れたいなと。とはいえ、面白い小説も読みたいので、今まで知らなかったり、ちょっと敬遠していたような作品も、読んでみようかなと思います。
正月は、年末に坪内さんの『本日記』を読み、恒例の中野翠さんの「私の青空」シリーズを読み、そこで思い出した、狐さんの『狐の書評』を実家で発掘し、読み、たまたまNHKで見た幸田文が、『狐の書評』にも「崩れ」が取り上げられているのを発見、久々の芋づる読書を試みようかと思っておりますが、果たして、『崩れ』が発掘できるのか?という問題が・・・(汗)。
まぁ、あまり肩肘張らず、興味の赴くままに読書生活が送れるといいなぁと思います。


2006/12/29

2006年ももうすぐ終りです。
あっという間の1年というのは、月並みですが、やっぱりこれに変わる言葉はありません。
今年も、落語に歌舞伎に、やりたい放題の1年でした(汗)。さらに念願のお囃子のお稽古を始めるという、暴挙?も。 そんな1年を振り返ってみると、談春七夜に通えなかったのが、一番の心残りでしょうか・・・。でも「除夜の雪」と「たちきり」という新しいレパートリー誕生の現場に居合わせることができたことは、大変幸せなことであったと思います。また、談志師匠の「二階ぞめき」、タイプの違うステキな「船徳」にたくさん出会えたこと、昇太師匠の「吉田さんのソファー」「愛犬チャッピー」を聴くことができたのも、忘れ難いです。他にも素敵な高座をたくさん体感できて、やっぱり落語っていいなぁと思う年の暮れです。
歌舞伎では、コクーンの「四谷怪談」、納涼歌舞伎の「たのきゅう」と、いわゆる古典ではない舞台に感動しました。 本の方では、今年は第二の「時代小説元年」でした。畠中恵、米村圭伍、蜂谷涼という新しい書き手にであったことが大きかったと思います。また、北森鴻さんにハマり、『鴨川ホルモー』や『東京バンドワゴン』といった、これまでに知らなかったエンタテインメント小説の世界にも出会うことができました。また、落語・歌舞伎の本も結構読んだなぁと思うのですが・・・。
坪内道的には、非常にサボった一年で、未だに手をつけていない新刊がたくさん・・・。でも、仕事ではないので、その時の気分で、読みたい本を読みたい時に読む、ということで良しとしたいと思います。

2006/12/07

お囃子のお稽古の楽しさにハマっている、今日この頃。道を歩きながら、エレベーターを待つ間、電車の乗車時間、お稽古の録音を聞いたり、唱歌?を口ずさんだり。傍で知らない人が見たら、かなりアヤしい奴になっています。
お囃子は「空間で成り立っている」と先生が折に触れておっしゃいます。お囃子の手の中には、打たない間も含められていることからも、そのことがよくわかります。そして、その打たない間には、掛け声?が当てられていることも、しばしば。
三味線は、素人の場合は、声をかけるという機会はあまりないので(基本的に、タテ三味線が描けるものだし、おさらい会などで自分がタテを弾いたとしても、脇についてくださった師匠がかけてくださるので)、まだまだ、太鼓の手を打ちながら、掛け声を入れることは、照れくさかったりもして、できません。ただ、さらっている時に、掛け声を入れないと、間が狂いがちになるんですよね。先生からも「手をさらう時に、ただ打つところだけをさらったのでは、ダメなんですよ」と言われております。三味線も、本来は自分が掛け声をかける立場かどうかは別にして、ちゃんと声をかけるべきところは、さらう時に掛け声も含めてやらないとダメなんだなぁ・・・という風に思っています。
そういえば、浄瑠璃の中に「河東節?」というのがあります。市川宗家の方が歌舞伎十八番?の「助六?」をなさる時に、御簾内で演奏される浄瑠璃です。その「河東節」の三味線には、囃子の掛け声で多用される「ハヲ」がたくさん使われています。これって、囃子の掛け声と関係あるのかも?と思ったりしているのですが、果たしてどうなんでしょう?
わたしのお囃子の先生は、とてもいいお声の持ち主なので、お囃子の掛け声がとてもカッコイイです。あんな風にはなれないまでも、少しでもかっこよく掛け声がかけられるようになりたいものですが・・・。

2006/11/01

ついに、念願のお囃子のお稽古に行き始めた10月。昔、長唄を習っていた頃も、身近にお囃子の先生方がいらっしゃったこともあって、やってみたいなぁと思っていたのですが、そこまで踏み切れないままになっていました。~三味線の稽古を再開する前から、お囃子のお稽古はやってみたいなと思っていたのですが、タイミングが合わず、やっと実現しました。2回目の稽古の録音を聞くと、自分の間の悪さを突きつけられて、かなりしんどいですが、太鼓を打つこと自体は、とても楽しくて、毎日、唱歌を口ずさんでます。
至近距離で先生の太鼓を打つ所作を拝見すると、その無駄の無い美しさに見とれてしまいます。あんな風には、とてもなれそうにないのですが、少しでも近づけるよう、がんばってお稽古したいと思います。
そして、お囃子のお稽古に行き始めてわかったこと。三味線でも、お囃子でも、上手い人は見た目から美しいということ。やはり、余計な力が入っていないし、動きに無駄がないからなんでしょう。そして、とある寄席に復帰した音曲の師匠が、とてもお綺麗になられて、全身からアウラが出ているのを拝見して、人前でやり続けることが、いかに大切かというのも、わかった気がします。もっとも、それはプロのお話ですが・・・。

2006/05/07

今月は、團十郎さんが歌舞伎座に帰っていらっしゃいました! 成田屋がいかに大きな存在であるか、歌舞伎座の客席の盛り上がりぶりからも、感じました。
まずは、無事に5月25日の千秋楽を迎えていただきたい。そして、これからもお体の調子と相談しながら、素晴らしい舞台を拝見させていただきたい。そんなことを、「外郎売」の舞台を拝見しながら、願ったのでした。

2006/04/04

このところ、改めて、歌舞伎が見たい!と思っています。そのきっかけは、「コクーン歌舞伎?」を見たこと。今年は、2月・3月と歌舞伎座の舞台は見ているのですが、やはり、勘三郎?さんの舞台は、特別です。
いつもエネルギッシュで、楽しくて、ワクワクするのが、勘三郎さんの舞台。歌舞伎の基本はきっちり押さえつつ、今という時代にフィットした歌舞伎をいつも模索している、そんな姿勢が、多くのお客様から支持を得るのでしょうね。
そして、今読んでいる、坂東三津五郎さんの『粋にいなせに三津五郎』は、勘三郎さんとはまたちょっと違ったスタンスから、歌舞伎の今を考えている役者さんなんだなぁということが伝わってきて、三津五郎?さんもいいなぁと、改めて思います。
そんなこんなで、歌舞伎に燃える今日この頃なのです(笑)。


2006/01/11

花柳章太郎の追っかけは、休憩中。で、落語本を次から次へと読んでいるところです。きっかけは、京須偕充さんの『落語名人会 夢の勢揃い』を読んだこと。それから、京須さんの『圓生の録音室』を読んで、今まで持っていた圓生師匠のイメージが完全に変わってしまいました。
レコードの制作者として、冷静な目で圓生師匠を見つめてきた京須さんの見方というのは、至極当然のことながら、これまで読んだ内側で圓生師匠とかかわった人たちの見方とはまた違っている。自分の立ち位置からすると、京須さんの見方を知ったことで、六代目三遊亭圓生という名人の芸の片鱗を知る、よいチャンスを与えられたのではないかと思っています。そして、期せずしてこのタイミングで目にした、「立川談志 日本の笑芸百選?」というNHKの番組の中で、談志師匠が圓生師匠の芸について語っておられたのを目にしたのも、何かのご縁なのではないだろうか?と思っています。
そして、談春師匠が圓生師匠の十八番であった「庖丁?」で、高い評価を得ていらっしゃるというのも、何かのご縁なのではないかとも。
そんなわけで、聴く方も今までなんとなく敬遠していた圓生師匠のCDを聴いてみようと思い始めた今日この頃です。

2006/01/03

とりあえず、”花柳病(はなやぎびょう)”は継続中です。ただ、花柳自身の著書はそう簡単に見つからないですし、見つかってもなかなか手が出ない・・・。もっと難しいのが、花柳の映像を見る、ということ。なので、花柳とかかわりがあった人々が書いたものを、丹念に探して読む、というのが、今後の花柳病に対する処方箋になりそうです。
坪内道の方も、もっともっと精進したいなぁと思うのですが、なにしろ、本を読むのが遅いので、気持はあれどなかなか実行が伴わない、という状況から少しでも脱却していものです。そして、積ん読の山を少しでも低くしたいものですが・・・。まずは、花柳病とも関係のある、明治の文士たちの作品や彼らについて書かれた本を読むというところから、と考えています。
落語と歌舞伎は、もうちょっと生で見聞きする機会を増やしたいと思っていますが、どうなりますか。何はともあれ、談春師匠の高座には、できる限り通いたいものです。と言いながら、すでに新年の高座を2つばかり、チケット取り損ねているのですが・・・(汗)。歌舞伎の方も、億劫がらずに、たとえ幕見ででも、見たい演目は見ておくようにしたいと思います。

2005/12/05

極私的東京名所案内』に端を発した”極私的明治勉強”は、長谷川時雨、女流義太夫、樋口一葉といったあたりを回遊中でした。
そこへ、たまたま積ん読の山から発掘した花柳章太郎舞台の衣裳?』を眺めたことがきっかけとなり、すっかり花柳づいております。松竹110周年記念として、松竹作品が上映されているシネスイッチ銀座で、花柳主演の「残菊物語?」を見て、花柳の魅力を見せつけられました。結果、そろそろ読もうかな?と思っていた大笹吉雄花顔の人 花柳章太郎伝』(講談社文庫)を読むきっかけをつかみ、きもの・明治の文学・演劇(新派?はもちろん、歌舞伎も)といった自分の興味の対象が、花柳章太郎というひとりの不世出の女形に結集しているじゃないか!と。これでしばらくは、花柳を追いかけることになりそうです。というのも、花柳が出演した芝居の多くは、明治の作家たちの小説を原作とするものであったり、明治が舞台の作品であったからです。そして、彼の交遊範囲には、六代目尾上菊五郎三宅周太郎岡鬼太郎?といった歌舞伎と所縁の人々が数多く登場しています。
そんなわけで、花柳病(はなやぎびょう、ですよ。かりゅうびょう、とは決して読まないでください 笑)初期症状が一気に出ている、といった感じの2005年師走です。

2005/10/27

ひさびさに、坪内道的読書に燃えております(笑)。
というのも、このところ明治の名優・澤村田之助?について書かれた評伝小説を立て続けに2冊ほど読んで、そこから思い立って、明治の絵師・小林清親?について書かれた杉本章子東京新大橋雨中図』を読み、そこで、田之助の評伝にも登場する人々に再会、さらに、月の輪書林さんが書かれた『月の輪書林それから』で、またまた清親さんに再会するという思わぬ展開が、わたしを待っていました。
そして、坪内さんの最新刊『極私的東京名所案内』を読み始めたところ、田之助や清親さんの評伝で登場した人々、彼らと所縁の人々が、これまた次々に登場してきます。
こうした、芋づる式読書というのは、本を読んでいると、企もうと企まなかろうと、しばしば出くわすものではありますが、こんなに面白いようにつながったのは、久しぶりだなぁと思い、だったらこのところちょっとサボっていた”坪内道”に血道を上げてみようかしら?と思ってみたのです。
はてさて、これからどんな未知の世界が待っているのか、大袈裟と言われようとも、ただいまの気分は、そんな期待でいっぱいなのです。

2005/03/17

いやはや、春です。暖かくなるのは嬉しいのですが、花粉が飛ぶのはしんどい。
今年は、例年の何十倍だかの花粉が飛散すると、さんざん脅されたわけですが、シーズンイン直後は「そうはいっても、案外たいしたことないじゃない!」と思っていたのですが、さすがに先週あたりから、だんだん症状が重くなって参りました。
そして、春といえば今年は、十八代目中村勘三郎襲名&九代林家正蔵?襲名の、ダブル襲名でしょう。
勘三郎さんの方は、3月はなんとか昼夜の切符を確保できましたが、4月の夜が未だ取れず。
正蔵さんの方は、寄席も落語会もまったく手付かずという状況のままです。
とりあえず、明日、新・勘三郎の披露目の口上が拝見できる予定なので、今から楽しみ!です。


2005/01/01

明けましておめでとうございます。
生まれて初めての、一人で年越し中でございます。
去年は(って、まだたった30分前までは2004年だったわけだけれど)、表面的にも内面的にも、まさに激動の一年でした。内面的な激動については、まぁ、自分で自分の首を絞めていたようなことなわけで、今年はもうちょっと自分が信じるモノを信じて、ジタバタしないようにしたいなと。
つまらないことで一喜一憂していてもしょうがないので(というか、一喜十憂くらいの勢いでした)、今年はもうドーンと構えることにしたいなと思っております。
というのも、暮れにちょっとした訳ありで、勘九郎さん最後の「桃太郎」を拝見いたしまして、当然スケールは違うけれど、諦めずに続ければ願いは叶うんだな、ということを改めて思ったからです。
一昨年の夏、歌舞伎座の納涼歌舞伎で上演された「野田版鼠小僧?」で、勘九郎さん扮する鼠小僧が幕切れで、少年に向かって「きっと、誰かが見ていてくれるんだ。だから諦めちゃだめだ、きっと願いは叶うから」(というような意味)というセリフが、とても印象に残っていて、そのことを、先日読んだ『勘九郎日記「か」の字?』で勘九郎さんご自身が書いておられるのを読んで、勘九郎さんでもずっと願い続けて実現させることがあるんだな、と思いました。
あちらは、平成中村座であったり、野田秀樹さんや渡辺えり子さんと一緒に歌舞伎をやることであったり、NY公演であったりと、とても大きなスケールの願いではありますが、そういう大小とは関係なく、やはり信じて諦めないということが、自分の願いを叶えるための一番大切なことなんじゃないかな?と感じています。
もちろん、そのための努力も欠かせません。でも、信じなければ、諦めずにがんばらなければ、努力もできないだろうと。
そんなわけで、いろいろと今年の目標はあるけれど、それらの達成に近づくためにも「信じて諦めない」を自戒の言葉として忘れないようにしたいと思う、2005年の年頭なのでした。

2004/12/22

自分で自分の誕生日プレゼントとして、談志師匠の独演会のチケットを買ったのは、多分、9月の終わりか10月の初めころだったかと・・・。
というのも、落語を聞くようになって1年10ヶ月、噂に聞く談志師匠の「芝浜?」がぜひ聞いてみたかったから。でも、談志師匠はネタ出しはしないので、一番確率の高い、リビング名人会を狙ったのだった。
ハプニングのおかげで、普段着・ベルベットのジャケット・黒紋付に仙台平の袴・無地のきものと袴という、談志師匠の四変化?を見ることもできたし、念願の「芝浜」も聞くことができて、本当に良かった!!
この年末は、坪内さんからは『文庫本福袋』、談春さんからは「白井権八?」という素敵なプレゼントをいただいたわけだけれど、その上、談志師匠の「芝浜」までいただけて、本当に良い年の締めくくりができたと思う。
思い切って、今日の会に出かけて良かった、良かった。

2004/12/15

半年ほったらかしにしていたんだなぁ・・・、この帳面。 Blogを使ってみたり、Book Logを使ってみたり、いろいろと試行錯誤ちゅうですが、実は、このPukiWikiっていうのが、簡単でいいのかなぁ?とも思う今日この頃。

えー、歌舞伎座では、勘九郎さんが「勘九郎」として最後の舞台に立っておられ、京都・南座では、新・海老蔵さんが襲名披露興行を行っておられ、歌舞伎見たい病にうずきながらも、仕事と落語と三味線の稽古で身動きが取りにくい今日この頃。 勘九郎さんの『勘九郎日記「か」の字?』(集英社)を読みましたよ。 今までに出た勘九郎さんのご本の集大成ともいうべき本かもしれません。 日記の体裁は取っていますが、生まれてからこの夏の、平成中村座ニューヨーク公演までの、節目節目、思い出の出来事が、勘九郎さんらしい言葉で綴られています。 きっと、勘九郎時代の総決算として書かれたのでしょう。 お父様が亡くなられた日のことは、読みながら、涙が出そうになってしまいました。 この日のことは、以前、テレビ番組で聞いたことがあったけれど、もっと細かい状況が語られていて、読んでいるうちに、ジーンとしてしまったのでした。 そして、勘九郎さんでも「今日はいいところを見せてやろう!」なんて意識して、かえってお芝居のテンポを崩してしまうことなんていうのがあるんだぁ、という意外な発見もあったり。 納涼歌舞伎の「野田版鼠小僧?」についての批判、わたしもあれは「歌舞伎じゃないと思ったら楽しめた」なんて書いてしまいましたが、勘九郎さんの中ではあくまでも”歌舞伎”だったんだ、ということを確認しました。 勘三郎になっても、新しいことへの挑戦は決してやめない、と言い切る勘九郎さんに、ぜひともワクワクするようなお芝居を見せていただきたいものだと、思います。 ああ、今月は、幕見でもいいから、歌舞伎座に行きたい。

2004/04/27

日帰りで、群馬県大間々町というところに行ってきました。浅草から東武特急で2時間弱、渡良瀬渓谷のほとりに建つ、ながめ余興場という劇場とそこで年に4回くらい開催される落語会を見るのが目的でした。
この、ながめ余興場というのは、かつて全盛だった足尾銅山で働く人々のために作られた劇場で、当時は休みの日に近在近郷の人々が集い、とても賑わったのだそうです。銅山の閉山、町の過疎化などのあおりを受けて、放置されていたこの余興場を取り壊して、新しいホールを作るという話しが持ち上がった時に、地元の有志のみなさんが、取り壊すのではなく今ある余興場を改築して、存続させるための運動を展開、消防法や建築基準法などといった難関をみごとクリア、余興場のたたずまいは残しつつ、現代の利用に耐える建物に作り変えたのだそうです。
伺ったところ、新しいホールを建てる以上のお金がかかったとか。それでも、もう今からでは二度と再現することのできない、戦前の建築物のゆったりとした、ぬくもりのある空間が守られたのです。
入り口は木の引き戸、中に入ると土間があって、そこで靴を脱ぎます。劇場の内部は板張りの床になっており、しかも床暖房完備! 柱や欄間、手すりなどはもとのままのようです。そして、客席の上手・下手には桟敷席があり、しかも下手側は花道の真横まで桟敷席。椅子席も、昔のものかしら?と思わせる木製のベンチで、いい色合いになっています。
舞台には、回り舞台と緞帳、定式幕、黒御簾もあります。舞台から客席を見ると、とても650席もあるホールとは思えない、小ぢんまりとした、お客と演者がお互いの息遣いを感じられそうな空間になっています。
上手舞台の上には、頭取部屋があって木の桟の窓があったり、奈落に下りると、手動の回り舞台を動かす装置があったり、天井の灯りは乳白色の曇りガラスでできた笠がそのまま使われていたりと、残せるものはしっかりと保存・活用できるように心が配られています。反対に、トイレは最新式の様式トイレで、綺麗なタイル張りの床は、清潔感に溢れていますし、音響装置や照明も完備されており、古き良きものと、新しい便利さがうまくミックスされていました。
「ながめ寄席」では、出演者の皆さんが花道を通って登場するといった、この劇場ならではの演出もあって、お客さまとの和気藹々とした雰囲気作りに一役買っていました。そして、ながめ黒子の会の皆さんに、温かく迎えていただいて、この皆さんあってこその”ながめ余興場”なんだなぁと思ったのでした。自分の故郷でもないのに、なんだかとても懐かしい場所に帰ってきたような気分になりました。
とても贅沢な空間で、楽しく落語を聞くことができて、綺麗な空気と景色も堪能できて、温かい人のぬくもりにも触れることが出来て、ステキな春の一日を満喫してきました。
7月25日には「ほたる寄席」が開催されるとのことで、またぜひ行きたいな!と思ったのでした。

2004/04/18

談春さんが、「花形演芸会」の大賞を受賞!という嬉しいニュース。入門から20年までがこの演芸会の出演条件なので、昨年度が最後の年だったんですね。昨日の「朝日名人会」もくいつきで登場されると、開口一番「わたしも噺家になって20年経ちました」とおっしゃったので、受賞のことに触れるのかな〜?と思ったら、さすがにそれはなかったです。
3月の独演会といい、昨日といい、このところ怒り爆発(笑)の時事ネタでマクラを盛り上げることが多い気がするのですが・・・。
昨日は「岸柳島?」とネタ出しされていたので、とても楽しみでした。やっぱり生で初めて聞くネタが談春さんというのは、ワクワクします。噺の展開が、去年聞いた「小猿七之助」にちょっと似ているけれど、落とし噺なので、最後は笑えるネタなんですね。落語を聞き始めた頃は、ストーリー重視のネタが好きだったのですが、最近は、与太郎や権兵衛、八さん・熊さん・定吉が大活躍するような、馬鹿馬鹿しくも楽しいネタも好きになってきました。多少は落語の楽しさがわかってきたのかしら?などと思っているのですが、どうなんでしょうか・・・。
今日の独演会では、受賞に関するコメントがあるだろうなと期待しているのですが、期待を裏切るのも芸風?なので、どうなりますか。


2004/04/11

池袋の「四月革命」が終わりました。10日間の興行のうち、なんと7日間も通ってしまいました(ほとんど仲入り前後にしか間に合っていませんが・・・)。
まったりとした空気の中で、のんびりと次々に登場するいろんな芸人さんの高座を楽しむところというのが、普段の寄席の楽しみだということが、最近やっとわかって来た気がしているのですが、この「四月革命」はそういう普段の寄席とは違う、若手ばかりの出演者がしのぎを削り、火花を散らす!という10日間だった気がします。 千秋楽の仲入り後、主任のお三方が並び口上で幕が開いたとき、三太楼さんのテンションが高いぞ!という様子を拝見して、それだけ達成感がありながら、大変だったんだろうな〜と、勝手に推察してしまいました。
喬太郎さんが一人で1時間20分を熱演された高座、たい平さんに花を持たせようとした(に違いない)三太楼さんがアっと言う間に高座から下りた後、お二人が超ショートバージョンを出し合った9日目、三人がそれぞれの個性を発揮するネタをかけた千秋楽、たくさんの思い出に残る高座を拝見することができて、通った甲斐があったぞ!と今はとても満足しています。
いずれ、このお三人での「四月革命」は終わるのでしょうが、彼らに続く若手にぜひ登場していただき、「四月革命」が続いて行くことを期待したいと思います。
そして、三太楼・喬太郎・たい平のお三方には、素敵な高座をたくさん拝見させていただいて、ありがとうございました!とお伝えしたい気持ちでいっぱいです。

2004/04/05

3月末の10日間は、権太楼さまを追いかけて、上野に通ってしまいましたが、4月最初の10日間は、どうやら今をときめく若手3人衆を追いかけて、池袋通いになりそうな予感。
初日・2日目と池袋に行って、出演者も客席も多いに盛り上がっている雰囲気を味わってしまった以上、行ける限りは行きたい!と思わせられてしまったのでした。
本当は、土・日のどちらかで、夜の部の最初から見たかったのですが、土曜日は歌舞伎座、日曜日はちとしゃん亭と、すでに予定を決めてしまっていたので、今席は仲入りから、となってしまいそうで、残念。
仲入り前も、白鳥さんや彦いちさん、扇辰さん、文左衛門さんと言った若手の皆さんが、しのぎを削っているらしいので、そういう熱気ムンムン!という雰囲気を最初から味わいたいな、と。
やっぱり、勢いのある若手が競い合うって、いいじゃないですか。もちろん、ベテランの皆様の円熟の芸っていうのも魅力的ですけどね。

2004/03/26

体調が悪い、悪いと本家の日記で言っている割には、3月下席の寄席通いはいまのところ、皆勤賞!(夜の部の仲入り後に限ってですが) その原動力は何か?というと、鈴本の夜の部の顔付けなのです。
食いつきが紫文御頭、そして主任が権太楼さまと来れば、これは通わない手はありません。
それにしても、最近、寄席に通ってみて、感じたこと。それは、お客の質とそれに対する芸人さんの気迫(もっと適当な言葉がありそうなのですが、今すぐには思い出せません)。^ というのも、鈴本の中席昼の部に行った日のこと。途中で客席に入ったら、真中のブロックはほぼ満席、両脇のブロックも7割がたは埋まっているという、人数だけで言えば、結構な入りでした。某若手人気真打の方の高座の終盤にかかったところで入ってしまったので、そのまま客席の一番後ろに立って、その方のネタが終わるのを待って、空いていた席に座りました。
どうやら、真中のブロックは、どこぞの団体さんの席らしく、前の座席の背もたれの部分に付いているミニテーブルの上には、一様に缶ビールとおつまみが置かれています。
客席は、ビールを飲んで一杯機嫌なんだろうなーというおじ様、おば様で一杯だったわけです。
なんとなく、ザワザワと落ち着かない雰囲気が客席全体を覆っていました。噺の途中で横の席の人を立たせて、トイレにでも行くのか、堂々と出て行く人も、ちらほら。
次々に高座に上がる芸人さんたちは、みなさんとてもやり難そうにしていらっしゃいました。多分、早い時間に上がった芸人さんから「今日の団体さんは・・・」という情報が早くも楽屋中に伝わっていたのでしょう。途中、マクラに織り込んだちょっとしたギャグでお客の注意を惹き付けたかな?という場面は何度かありましたが、彼らの集中力はほんの一瞬しか発揮されないらしく、すぐにまた、ザワついてしまいます。甚だしいかったのは、某ベテラン真打の噺家さんが上がる時でした。前の芸人さんが楽屋に下がって、前座さんが座布団を返し、めくりをめくって、さぁ、となってもトイレに立つ人が後を立たないのです。そうこうする間に、その団体さんの幹事と思しきおじ様二人が、ビールを配り始めました。もう次の出囃子が始っているのに、まったく意に介さずといった様子です。さすがに前座さんからご注進が行ったと見えて、客席係りのお姉さんがやってきて、注意しています。結局、出囃子を何杯つないだでしょうか? やっと登場しても、今度はトイレから帰ってくるお客が、出て行く時と同じことを繰り返しています。
こういう状況は、仲入りまで続き「いったい、どうなってるんだ?」と思った一般客は、わたしだけではなかったはずです。
そして、仲入りが終わり、「釣女」が聞こえはじめた時、まだ場内は相変わらずザワついていました。紫文御頭が上手から登場、場内を一瞥するとちょっと長めのマクラをふっています。
それでも、なかなかザワザワとした雰囲気は変わらず、三味線の前弾きを始めて「鬼平」が始り ました。最初は”納豆屋”のネタ。半分くらいのお客は、とまどいつつも笑っていますが、相変わらずという人も多々。「『鬼平』をもってしても、ダメか」と思っていたら、ネタが進むにつれて、場内がどんどん一つになって行きます。もともと、「鬼平」の落ちを考えさせる”間”が見事に今まで「どうしようもない」客だったおじ様、おば様の注意をしっかりと惹きつけることに成功したのです。もちろん、御頭は、彼らの注意を向けさせるために、団体さんにちなんだネタを織り込んだりという工夫はしていらっしゃいましたが、そこに行く前に大半のお客は、もう「次は何?」「この落ちはなんだろう?」という興味に引っ張られて、すっかり高座に注目を向けるようになっていました。
大入りや、大勢の団体さんで場内がザワついているときは、色物の芸人さんの方が強い、と言われているそうですが、仲入り前に上がった色物の芸人さんは撃沈していたので、やはりこれはあきらめてしまわないで、「俺の方を向かせてやる」という心意気があったかどうか、ということなのではないか?と思ってしまいました。
営業的に、数が読める団体さんを優遇する寄席側の気持ちもわからなくはないのですが、休日の昼席という、一般演芸ファンにとっても出かけやすい時間帯の興行では、もう少し小屋サイドが配慮を見せてくれないと、普段から通ってくれるお客を逃すことになるのではないか? などと考えてしまったのでした。

2004/03/18

3月16日、すみだトリフォニーホールでの談春さんの独演会に、体調不良にもかかわらず、 行ってきました。
結論。行って良かった!!の一言に尽きます。翌日からすっかり体調を崩してしまったのですが そんなことはなんのその。約1年ぶりで「紺屋高尾?」に再会できて、本当にうれしかったです。
前半は、白大島?というきもので登場。ところがそれまでBGMは何の問題もなく場内に流れていたのに、いざ出囃子!となったら、音飛びがしてしまって、結局出囃子なしで、登場する ハメに・・・。お辞儀を終えて顔を上げた瞬間、談春さんのお顔にはそれだけではなさそうな お怒りの表情が! 結局、その予感は的中して、マクラでお怒りの素は明かされたのですが。
そうこうするうち、今年のバカ陽気に合わせた?「花見の仇討?」に。落語長屋の粗忽者が勢揃い といった趣のこの噺。生で聞くのは初めてでしたが「これがうまくいけば、確かに拍手喝采だよ な〜」と思いつつ聞いていたら、やっぱりそううまくは事は運ばず・・・。爆笑してしまい ました。
仲入りをはさんで、今度は「中の舞」に乗って浅葱色のきものに黒の羽織で登場。なぜか先日の「東西落語研鑚会」の打ち上げ話しがひとしきりあって、お待ちかねの「紺屋高尾」に。
前回とは、話しの運びやディテールが違ってはいるものの、やっぱり「紺屋高尾」は談春さんに 限る!という噺を聞けて、大満足でした。久さんの一途な思い、親方の暖かい人柄、 高尾の真心、とこれでもか!と盛り上げられて、ついにウルウルとしてしまったのでした。

2004/02/16

今年初の、談春さんの独演会も、無事終了しました。昼の部では「妾馬」と「ねずみ穴」、 夜の部の一席目が、年末から持ち越しの「札所の霊験(下)」で仲入り後に「居残り佐平次」 という、なんともバラエティーに富んだ番組。一日のうちにこれだけ違った噺をひとりの噺家 さんで聞けるというのは、凄いことだなーと、今頃になってあらためて、感動しております。
3月は16日(火)すみだトリフォニーホール小ホールで、独演会。
なんと「年に一度くらいはいいかな?」とおっしゃる「紺屋高尾」をかけるとのこと。
この噺は、わたしが談春さんの落語を初めて聞いた日のトリネタ。ひそかに 「来年やって欲しい落語」というアンケートでリクエストしていたネタだったので、 すごーく期待しております。チケットはすでに発売中です。詳しくは立川談春さんの HPでご覧ください。


2004/02/01

落語を聞きに行くと、気になるのが、高座に登場する噺家さんのきもの姿。カッコイイかどうか はもちろんですが、噺の雰囲気作りにも影響するんだな、ということを教えて下さったのが、 談春さんと柳家権太楼さまです。
談春さんは、昨年足を捻挫された時に「やっぱり、廓の噺は袴じゃねぇ・・・」とおっしゃった のを聞いて、「あー、そうなんだ!」と納得しました。そして「落語研究会」で権太楼さまを 初めて聞いた時、登場された権太楼さまを一目見て「なんか、尼さんみたいだなぁ」と思った のですが、その時のネタが「たちきり線香?」でした。そう、噺が進むにつれて、権太楼さまの 姿が”若い娘に先立たれたおっかさん”に見えて来たのです。その日の権太楼さまは、銀鼠っ ぽい無地の透け感のあるおきものでした。以来、好きな噺家さんを聞くときは、どんなきもの で高座に上がられるかで、今日のネタはあれかな? これかな?と予想する楽しみもできました。
そして、最近「ハッ!」とさせられたのが、柳家喜多八さんの黒紋付なのに比翼仕立てになって いて、その比翼の部分の色が山吹色というもの。遊び人の若旦那が父親に怒られて自宅の2階で 謹慎させられており、それでも吉原にいる恋しい花魁に会いたくて、一人であれこれ思い浮かべ てはヤニ下がるという噺(「ぞめき?」)と、世間知らずの若殿様が、家来相手にわがまま放題の 将棋を指しているのを見かねたお目付役の爺が登場して、若殿をやり込めるという噺(「将棋の殿様?」)を、同じおきもので通されたのでした。「ぞめき」では山吹色が花魁の色気を感じさせ ていたし、「将棋の殿様」では若殿のくつろぎ着に見えてくる、なんとも絶妙のきもの選びだ! と思いました。
そして、きもののオシャレの仕方という意味では、本日の柳家紫文御頭。無地に見える薄い ブルーグレーっぽいおきものだったのですが、袖口からチラっと見える長襦袢が、白地に藍色の 柄(多分、花柄?)のもの。よく、きもののコーディネートの本などで、袖口からチラっと 見える長襦袢の柄に凝るのがオシャレ!というような記事を目にするのですが。具体的には どういうことなのか、なんとなくわかったような、わからないような・・・。
今日の三味線を弾く腕の動きに併せてチラっと見え隠れする長襦袢の柄に「ナルホド!」と やっとそのオシャレが実感できたのでした。
まだまだ、長襦袢をいろいろ揃えてというのは、無理があるので、せめてせっせとうそつきの 袖でチラリと見えるオシャレに挑戦してみたいものだと思っています。

2004/01/23

「落語研究会」に通うようになって、良かった!と思うのが、ある一定以上の評価を得ている(こういう言いかたは、あまり良くないかもしれませんが)噺家さんが、それぞれのお得意の ネタ、珍しい噺を競演してくれること。寄席の、ある意味ゆったりとした雰囲気もいいのですが、初心者には、次々に目の前で「どうだ!」と言っているかのような落語を、一度に 4席・5席聞けるのは、刺激的でいいな、と思います。
さらに、いきなり独演会に行くのは、ちょっと勇気がいるけれど、ここで聞いて気になった 噺家さんが出演される寄席や、独演会に行ってみるというお試しの場としては、とても 有り難い! また、この会には、普段とは別の意気込みをもって出演される方も多いと 聞きます。
こういう、噺家さんが自分の持てる力を精一杯ぶつける場、それを楽しみに聞ける場、 というのは、貴重なのではないでしょうか?。
以前、とある二つ目さんとお話しをした時に「やっぱり、落語研究会に呼ばれるっていうのは、 一つのステータスであり、プレッシャーでもある」ということをおっしゃっていました。 一人の客として、「落語研究会」には、そういう“場”でありつづけて欲しいと思っています。
ちなみに、昨日、初めて高座を聞いて、また聞いてみたいと思ったのが、一琴さん。 これでまた、寄席や落語会に出かける目当てが増えました。
しかし、なぜ、談春さんは最近登場しないのだろう? ぜひ、落語研究会で談春さんを 聞きたい!と思っているお客は、わたし一人ではないはずなのですが・・・ (やっぱり、談春さんの話題になってしまう・・・)。

2004/01/15

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一部、巷で話題の『談志が死んだ? ー立川流は誰が継ぐー』(講談社)が、大変面白かったです。落語に興味が無い方には、ちょっと???かもしれませんが・・・。前半は、Aコース真打および、二つ目の皆様による対談・鼎談がいろいろとあるわけですが、その中でも爆笑ものだったのが、文都さん×談春さん×志らくさんの鼎談と、文字助さん×談春さんの対談。もう、それはそれは面白いシクジリ話やら、落語に出てくる長屋の八さん・熊さんさながらの武勇伝、なじり合い、足の引っ張り合いの連続で、地下鉄の中で鼎談を読み始めたわたしは、笑いをこらえるのに大層苦労したのでした。
そして後半の、家元・談志師匠が弟子たちについてコメントしていくコーナーでは、ご本人もびっくり(かどうかは、定かではないのですが・・・)の談春さんへの絶賛の嵐。
これまで、志の輔さんや志らくさんについては、談志師匠のお褒めのことばは、ずいぶんありましたが、ここまで談春さんを褒めたのを目にしたのは、初めてでしたので、追っかけとしては嬉しい限り。
そして、さらに。この本を読んだことがきっかけで、あの福田和也さんが、なんと暮の談春さんの独演会を聞きに来ていたそうで(昼の部)、1月15日号の「週刊新潮」の連載に「談春は凄いぞ!」というタイトルで、これまた大絶賛記事を書いてくださっています。福田さんが落語について、どのくらいお詳しいのかは存じませんが、以前から好きな書き手の一人であった福田さんが、ここまで褒めてくださると、これまた追っかけとしては、嬉しい限りです。
今のわたしの気分は「こいつは春から、縁起がいいわ」なのでした。

2004/01/03

今年は、落語・歌舞伎・きものにますます精進したいなと思っています。年頭の所感(というほど、大げさなものではありませんが・・・)

  • 落語
  1. 談春さんの正しい”追っかけ”になる。
  2. 談志師匠の高座を、特に独演会をもっと聞きたい。
  3. 今まで聞いたことの無い噺家さんの高座を聞く(特に、芸術協会の噺家さん)。
  • 歌舞伎
  1. 院本モノの苦手感を克服したい。
  2. 京都の顔見世に行きたい。
  • きもの
  1. 手早く、きれいに、カッコ良く着られるようになりたい。
  2. 小物や帯のコーディネートを学びたい。
  3. 脱・黒っぽいきもの&縞にチャレンジ。

2003/12/23

いやぁ、当たる時は当たるもんです。別に、食べ物にあたったわけでも、車に当たったわけでもありません。チケットの先行予約のことです。もう、藁をもつかむつもりで申し込んでもダメな時は全然ダメなわけで、かと思うと「どうせ当たらないでしょう」と思って、軽い気持ちで申し込むと、これがことごとく当たるんですね。実際のところ、どの程度の倍率だったのかはわかりませんから、抽選無しだったのかもしれませんが・・・。
こういう軽い気分で申し込んだときというのは、あまり深く考えていないので、お得意の(自慢になりません)ダブルブッキング、ニアミスの連発となるわけです。はい、またやってしまいました。2月の朝日名人会と演舞場の「空想 万年サーカス団」先行予約が、見事に。今回は、まるまるではないのですが、やはり終演予想時間と開演時間が被っております。演舞場の方は、別日でもいいわけで、試しにオークションに出してみようか?などと考えております。あー、情けない。


2003/12/15

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このところ、とどまるところを知らない落語熱。あちこち出かけて、いろんな噺家さんに出会って、いろんな噺を聞いています。
小朝さんの「芝浜?」を聞いたのがきっかけで「落語もいいなー」と思ったのが、今年の2月。そして、わが落語の師である藤原龍一郎さんに「談春さんも聞いてみて」とアドヴァイスをいただき、独演会に行ったのが4月のこと。その時聞いた「紺屋高尾?」は、今でも強烈な印象が残っています。そして、6月。国立演芸場で花緑さんとの二人会に出かけて聞いた「野ざらし?」で、完全に談春さんの落語にハマったのでした。
その頃「そういえば、どこかにあるはず!」と思い出して、本棚から引っ張り出したのが、吉川潮さん文・橘蓮二さん写真による『高座の七人』(講談社文庫)でした。この七人の中に、談春さんが入っていて、何度も何度も写真を眺め、文章を読んでいます。
そうこうするうちに独演会だけでなく、談春さんを追っかけて、各種落語会にも行くようになり、落語そのものの面白さにも目覚め、坂道を転げ落ちるように、寄席や落語会に通い始め、権太楼さま、志の輔さん、市馬さんといった噺家さんに出会い、念願の談志師匠の生落語も聞くことができました(残念ながら、まだ独演会に行った事はありませんが)。
12月に入って、昇太ムードデラックス、志ん五の“与太郎二夜”、志の輔らくご2003と、印象に残る落語の独演会に出会いました(そういえば、『高座の七人』には、小朝さんも、昇太さんも、志の輔さんも取り上げられています)。
とはいいながらも彩の国さいたま芸術劇場小ホールで、談春さんの独演会を聴いて「やっぱりわたしが一番好きなのは、談春さんだなー」と改めて確認。 「野ざらし?」の中で八五郎が歌う「鐘がボンと鳴りゃよー」という歌が、昨日からずーっと頭の中でぐるぐる回っています。

2003/12/08

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いよいよ師走ですね、世間さまは。わたしですか? 仕事は例年になく平穏に済みそうな予感があるのですが、読みが甘いでしょうか? 一方、趣味の方は大変なことになっています。落語に歌舞伎に、週末はもちろん、平日の夜も予定が目白押し。そんなこんなでなかなか本を読み終えることができずに、年を越しそうな気配が漂ってきました。しかし、これだけは年内に読んでおきたい!というのが、横山秀夫さんの本ですね。未読なのは『影踏み?』。読み始めれば、一気に読めるのは、わかっているのですが、翌日のことを考えるとつい、手に取るのを躊躇してしまうのでした。すでに読んだ友人からは「ちょっと・・・」という声も漏れ聞こえてきますが、こればかりは、読んでみないとわかりません。あとは、どこかにあるはずの『三遊亭円朝の明治?』を掘り出して、読みたいなと思っておりますが、無事発見できるか?

2003/12/01

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  • なんといっても、今の私の興味の針は”落語”にぐーんと傾いています。そもそも、吉川潮さんの『江戸前の男? 春風亭柳朝?一代記〜』(新潮文庫)Amazonを読んだのがきっかけで(といっても、だいぶ長い発酵期間を要したけれど)、その柳朝師匠十三回忌追善興行を聞きに、上野の鈴本演芸場へ足を運んだのが、ほぼ生落語・初体験でした。そんなわたしにとって、落語の原点となった、鈴本演芸場が11月25日朝方の火事で、年内休業となったのは、残念です。さらに、関係者の方から犠牲者が出てしまったとのことで、ご冥福をお祈りしたいと思います。そして、鈴本演芸場が、来年の初席からまた、元の通り、興行が行えるよう願っています。

大福帳?