SS / 夢終わる時 / 2



389 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:08:00 ID:ERKcGCfo0
目を見開いて真っ先に入ってきた光景は、見知らぬ天井だった。
乳白色の蛍光灯は人の意志など気にも止めないで一定の光を照射し続け、
使い慣れていないベッドの堅さとシーツの感触と合さって、
どこか人の体温を感じさせない無機的な感覚をエヴァンジェリンに与えた。

「…ここは?」
「気が付いたみたいね」

暖かい女性の声がエヴァンジェリンの耳朶を打った。
視線をずらすと、ベッドの脇に女性教師の源しずながいて、
エヴァンジェリンを母親のような瞳で見守っていた。

「私は、どうなったんだ? なぜ私はここにいるんだ?」
「タカミチがあなたを助け出して、保健室に連れてきたの。
 あの人、本当は自分の家で看病しようと云ったんだけどね。
 これから起こることを考えて、私が止めたの」

しずなは眼鏡の奥で悪戯っ子めいたウィンクをした。
明らかに何かを企んでいる。エヴァンジェリンが驚くであろうことを確信している。
だが、不快ではない。恐怖も感じない。昨日…いや先程まで毎日のように来ては
自分に悲鳴を上げさせるネギ達も、何かをする前にはたくらみの笑みを浮かべていた。
それとは雲泥の差がある。気が緩み、思わず涙がこぼれた。

391 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:09:31 ID:ERKcGCfo0
「つらかったのね」
しずなは短い言葉を述べた。彼女は言葉が言葉であるが為の制約故に、
想いが伝わらない時があることを知っていた。全ては「時と場合」だ。
言葉が有効である場合もあるし、間違った効果しかもたらさないこともある。今
は、言葉は役に立たない、としずなは直感した。だから言葉の代わりに、
しずなはエヴァンジェリンの金髪を撫でた。
エヴァンジェリンは最初無意識に身体を震わせ、
次第に髪を通じて心を通わせようとするしずなの心を感じ取って、されるがままに身を任せた。

いつのまにかタカミチが保健室に入ってきいた。エヴァンジェリンと視線が合うと、
眼鏡の位置をなおすふりをして下を向き、それから微笑んだ。
いつもの物静かなタカミチに戻っていた。しずなは相変わらず髪を撫で続ける。

「もう大丈夫。ここにはあなたを虐める人はいないわ。
 私もいるし、タカミチもいる。誰が来ようと、私達があなたを護るわ」

小さな音が鳴った。
それはエヴァンジェリンの喉から発せられた音だった。

「うっ……ひっく……ひくっ」

喉の奥に込上げるものが堰を越えようとし、エヴァンジェリンは抵抗を放棄した。
たちまち碧眼が涙で潤むと同時に、長い監禁生活で蓄積されていた恐怖と絶望が慟哭となって溢れ出す。

392 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:11:01 ID:ERKcGCfo0
「うっ、うわあ゛ああああああっっっ!!!」
エヴァンジェリンはしずなの胸に顔を埋めて泣いた。
涙が滝となって頬を伝わり、しずなの胸元を濡らす。

「こわかった、こわかったよ……!!
 痛くて、痛くて、寂しくて、ずっと1人で……!!」
「大丈夫。もう大丈夫よ。あなたは1人じゃないわ」

しずなはエヴァンジェリンを赤ん坊のようにあやし続けた。
いつしか日は山裾の向うに沈みかけ、少女の嗚咽が響く保健室を緋色に染め上げる。
ふと、誰かがドアをノックした。タカミチは外の人物を確認して、ニヤリと笑って保健室のドアを開けた。

「御主人様あああぁぁぁ!!」
「うっ、ひっく、ぐすっ…い、和泉亜子!?
 それに佐々木まき絵に大河内アキラ、明石裕奈まで!?
 お前達、どうしてここにいるんだ!」

ドアの前に突っ立っていたタカミチを突き飛ばして突撃してきたのは、
和泉亜子を先頭に、かつてエヴァンジェリンに吸血され、操り人形とされた連中だった。
特に和泉亜子は、彼らの中でも群を抜いて不幸だった。
ここ最近、木乃香達に虐められていた上に、自分の力の無さが主人を
ネギに拘束される原因となったことへの自責から精神崩壊寸前まで追いつめられていたが、
エヴァンジェリンがタカミチに救出されたことを感じ取って居ても立ってもいられず、
かつての仲間を再び吸血鬼にした上で保健室を急襲した……と云うわけだ。
幼子のように泣きじゃくっていたエヴァンジェリンも、
従者達が目の前にいるとあらばいつまでも泣いているわけにもいかず、居住まいを正した。
太陽が月と入れ替わるような変化に、しずなとタカミチは顔を見合わせて笑う。

393 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:12:13 ID:ERKcGCfo0
「御主人様、申し訳ありません!!」

和泉亜子は、エヴァンジェリンの無事な姿を確かめると、いきなり土下座をして謝罪した。
床に額をこすりつけながら、木乃香達を恐れるあまり、主人の危機を知りながら
救出しなかったこと、何の対処も打てなかったことをわびる。

「ウチ、御主人様を命にかえても助けなきゃあかんかったのに、木乃香達が怖くて…!
 いかなる罰を受けても、うんん、罰を受けるのが当然です。
 どうかこの役立たずに御主人様の苛烈なるお裁きを!!」
「いえ、私達も!」

まき絵達も亜子を押しのけてエヴァンジェリンにわびる。

「ネギ先生に記憶を消されていたとはいえ、
 御主人様の危機に安穏として過ごしていた我が身の不甲斐なさ。
 御主人様に顔向け出来る立場ではありませんが、せめてもの情け、
 直接御主人様に罰を与えていただきとう存じます!」
「ひっく、そう云われてもなぁ、ぐすっ」

鼻をすすりながらエヴァンジェリンは困惑して亜子達を見下ろした。
吸血鬼の真祖たる自分を監禁して拷問するような輩に、
新米吸血鬼の亜子が対抗出来るとは到底思えない。
木乃香達に脅されれば、萎縮するのも無理はない。
正直一緒に拘束されて悲惨な経験をしなくてすんだだけ、幸せだったかもしれない。

394 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:13:24 ID:ERKcGCfo0
「そうだ」
エヴァンジェリンは亜子達一人一人の顔を眺めながら手を叩いた。

「お前達。お前達が私に忠誠を誓っているなら、私に力を貸して欲しい。
 お前達の血を…飲ませて貰いたいのだ。今の私は弱っているからな。
 お前達の血を飲むことで力を回復させたい」
「御主人様が私達の血を欲されている……。
 この身体に流れる血の最後の1滴、いえ命そのものを御主人様の為にさしあげます。
 嗚呼、なんという喜び。では早速…」
「まてまて」

四方八方から飛びついた亜子達を引き離しながら、エヴァンジェリンは苦笑を浮かべた。

「私は『血をくれ』と頼んだが、お前達の命まで貰うつもりはない。
 あいつと私とのことで、もう誰にも迷惑はかけない。お前達で最後にする」
「…やっぱり行くのか?」

問いかけたのは亜子達ではなくタカミチだった。
答がわかっていても、なお聞かざるを得かったからだ。
タカミチの表情を押し殺した顔には、苦渋が滲み出ていた。
それはエヴァンジェリンが無言で頷いたのを確認して、さらに濃さを増した。

「ぼーやを止められるのは、私だけだ。
 それに、ぼーやと私との間にはナギを巡る因縁がある。
 ケリをつけられるのは、私しかいないんだ」

タカミチもしずなも亜子達も、エヴァンジェリンの述懐を前に口をつぐんだ。

395 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:14:32 ID:ERKcGCfo0
保健室は沈黙に覆われた。
太陽が山すその向うに落ち、赤く染まった室内は再び蛍光灯の支配下に戻った。
最初に静寂を破った人物は、意外にもしずなだった。

「やっぱり、こうなるんじゃないかと思ったわ。そうでしょ、タカミチ。
 和泉さん達の血を吸って、英気を養って、ネギ君との決着をつけにいくんじゃないかって。
 エヴァンジェリン。あなたが決めたことだから、私は反対しないわ。
 和泉さん達のことは心配しないで、殺さない程度に血を吸いなさい。
 気絶させちゃっても構わないわよ。その為にベッドがたくさんあって
 治療も出来る保健室にあなたを運んできたのだから。
 でも私の血は吸わないでね、ベッドに寝かしつける人がいなくなるから」

しずなは笑った。吸血と云う人の世にはばかる行為が教師公認の元、
おおっぴらに行われる。そのことにエヴァンジェリンは戸惑いつつも、ま
き絵の首筋に牙を突き立てた。ちうちう、と若い処女の血と生気が吸い出され、
エヴァンジェリンに取り込まれていく。少女達は恍惚の表情を浮かべ、
快感の吐息を漏らしつつ、血の気が失せていくと同時に瞼を閉じていった。
対照的に、紙のように白かったエヴァンジェリンの肌に精気が蘇える。
夜空に輝く満月を思わせる光が内側に宿る。
骨と皮ばかりだった肢体がふっくらと瑞々しさを取り戻す。

396 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:15:48 ID:ERKcGCfo0
最後に和泉亜子の首筋に牙を這わせようとした時、エヴァンジェリンは躊躇した。
いつまでも突き立てられない牙に
「どうしたのですか、御主人様」と亜子が閉じていた瞼を開くと、
エヴァンジェリンの顔が眼前にあった。
驚いた亜子が疑問を投げかけるよりも早く、吸血鬼の少女の唇が亜子のそれに重ねられた。

「和泉亜子。お前には苦労をかけたな」
「いいえ、御主人様。うちは、少しでも御主人様と共に歩むことが出来て幸せでした。
 本当なら、うちが御主人様の矛となり盾となって一緒に戦わせて欲しいのやけど…」
「すまない」
「わかっています。だから……うちの血を沢山吸って、ご主人様の力にしてください。
 ネギ先生を止めて下さい。あと、お願いがあります。
 生きて、帰ってきてください…ます…たぁ……」

亜子はエヴァンジェリンの小さな身体を抱きしめた。
肩ごしに語りかけ、その口調が次第にゆっくりと、トロンとしたものとなり、
続いて瞳が閉じられ、彼女は意識を失った。
急性貧血で気を失った少女達を、しずなとタカミチが手分けしてベッドに寝かせた。
手際好く輸血をする2人を横目に、エヴァンジェリンは唇についた血をぬぐうこともせず、
ぼんやりと天井を見上げていた。亜子達から貰った生命エネルギーを己の魔力へと変換し、
練り上げる。赤い血の海が、一点へと凝縮していく感覚。
広大な海が掌サイズの立方体へと縮まり、さらに一つまみのルビーと化す。

「学園結界を落すよ。エヴァ、準備はいいかい?」

397 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:17:13 ID:ERKcGCfo0
生徒達の手当てを終えたタカミチは、デスクの上に置かれたノートパソコンを開いた。
既にプログラムは待機状態にあり、発動させるには、エンターキーを押すだけで良かった。
タカミチがボードに指先を叩きつけると同時に、麻帆良学園の発電装置がダウンする。
主系統も予備系統も含めて、だ。外部からの電力も遮断された。
麻帆良学園は陸の孤島となり、全土が一斉に停電した。

それは、エヴァンジェリンの魔力を封じ込めていた学園結界が消滅したことを意味する。
エヴァンジェリンの意識に、どんな絵の具を持ってしても描けない
鮮やかな血色のルビーが浮かんでいた。
それを意識野で握り潰した瞬間、エヴァンジェリンの身体は魔力を取り戻した。
大停電に襲われ、漆黒の中に沈んだ麻帆良学園の中に太陽が出現する。
濃密度の魔力が放電現象を起し、衝撃波が半径1キロ内の窓ガラスを一枚のこらずたたき割った。

光の奔流に、タカミチとしずなは、思わず腕を上げて目をかばった。
2人の視力が正常に戻った時、眼前に立つのは、数秒前までの少女はいなかった。
『闇の福音』と恐れられし最強の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの姿があった。
漆黒のマントを吹き上がる魔力にたなびかせ、やや吊りあがった瞳は
どこまでも蒼く、自信に満ち溢れている。
だが、しずなの胸で泣きじゃくっていた幼子は消えてはいない。
蒼眼に渦巻く嵐の中に見え隠れしている。

398 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:18:19 ID:ERKcGCfo0
「ネギ君も、君の復活には気が付いたことだろう。それにしても随分と派手な宣戦布告だ。
 さて、エヴァンジェリン」
「なんだ」

タカミチがわざとらしく咳をしたので、
エヴァンジェリンは吸血鬼の威厳をもってタカミチを見上げる。
(そういえば、タカミチが私のファーストネームを全て云うなんて珍しいな)と
エヴァンジェリンは思う。妙な胸騒ぎが彼女を襲った。
タカミチは暫く吸血鬼の少女の顔を凝視したまま黙っていたが、意を決したように口を開いた。

「地下室から君を助けたのは僕だ。だから、お礼が欲しい」
「そんなもの、あとで良いだろ」
「いや、今でなくては困るんだ」

場違いな要求を、と苛立たしさを浮かべ、
タカミチの様相に怪訝な表情へと変化させるエヴァンジェリンに、タカミチは思い切って告げた。

「お姫様のキスが欲しい」
「なっっ……!!?」

エヴァンジェリンは蝋人形のように硬直し、たっぷり数秒間身じろぎもしなかった。
次の瞬間、頬に血が上って真っ赤になると、タカミチの胸倉をつかみながら
猛烈に喚きはじめた。「こんな大事な時にお前はなんて不謹慎なことを言うんだ」と
云うようなことを言いたかったのだが、混乱していたので、
相手が言葉一つ一つを正確に理解するのは不可能だったろう。

タカミチは笑って云った。

399 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:19:24 ID:ERKcGCfo0
「本当は唇にしてほしいけれどね。君が恥ずかしいなら、首筋でもいいよ」
「タカミチ……」

エヴァンジェリンはタカミチの胸板を叩いていた手を止め、彼の顔を見上げた。
首筋にキスをする。吸血鬼たるエヴァンジェリンには、その言葉が示す意味が好くわかる。
わかりすぎる。なぜこんなことを云うのだ、とタカミチを見据えた。

「本当はネギ君との戦いにも赴いて欲しく無いんだが、君の決意を妨げるのも嫌だ。
 なら、君の力になりたくてね。和泉君達の血液だけじゃなく、僕の血だって君の力になれるだろう?」

タカミチは、はにかみながら告げた。
エヴァンジェリンはタカミチの顔を見ることができなかった。
うつむいて、喉元まで込上げた言葉を必死に堪えた。

「さあ、エヴァ」

タカミチが身を屈めた。エヴァンジェリンは覚悟を決めると、男の首筋に牙をつきたてた。
久方ぶりに飲むタカミチの血液は、昔と同じように、ほろ苦かった。

「エヴァ。戻ってこいよ……」

言い残してタカミチは倒れた。
こうなるかを予期していかのようにしずなが駆け寄って介抱する。
タカミチの身体をベッドにのせたしずなは、振り返ってエヴァンジェリンを見つめた。
エヴァンジェリンも視線を返した。2人の女の意志と意志が交錯して、
充満する吸血鬼の魔力とは違った緊張状態を作り出した。

400 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:21:17 ID:ERKcGCfo0
「…私が、憎いか?」
「いいえ」

エヴァンジェリンの問いに、しずなは首を振った。

「嫉妬を感じないと云えば、嘘になるわ。私だって女ですもの。
 愛した男が他の女にちょっとでも意識を振り向けるのを見るのは嫌なもの。
 ましてタカミチは、叶わないと知りつつ、あなたへの想いを秘めている。
 それを認めるのは、あまり気分の好くないことね。
 でも、私はあなたのこと、嫌いじゃないわ。
 あなたがされたことは、例えネギ先生がやったこととはいえ許せないし、
 まして外観年齢相応の、子供みたいなあなたを見せられて嫌いになれると思う?
 私は本当にあなたを護りたいと思ったわ」

 しずなは歩み寄ると、エヴァンジェリンの肩に手を置いた。

401 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:21:49 ID:ERKcGCfo0
「何より、あなたの対象は、ナギと、ネギ先生だもの。
 これがタカミチ相手だったら、私もどうなっていたかわからないけれど。
 あなたがタカミチを手に入れようとしない限り、私はあなたの味方よ」
「現金な奴だな」

エヴァンジェリンは「呆れた」と笑った。
だからこそ人間らしい、とも思った。
そして思う。私は、こう云う人間が、好きなのだと。

「エヴァンジェリン。死んでは、駄目よ」
「わかっているさ」

風も無く漆黒のマントがはためき、エヴァンジェリンの足が床を離れる。
重力の制約を断ち切って、吸血鬼の少女は夜空に舞い上がり、
一気に加速してしずなの視界から消えた。
月光が無言で佇むしずなの顔を青白く染めあげた。

402 名前:夢終わる時 前編[] 投稿日:2005/09/02(金) 14:24:59 ID:ERKcGCfo0
前編はここまでです。
後半は夜か明日にでも投下します。
スレ汚しスマソ……。

※明日菜の手紙は、のどかが書き、楓が届けたものです。
 ○○時に図書館島地下まで来てください、と地図を添えて書いてありました。