尼崎事故・鉄道員の質


尼崎事故・鉄道員の質

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上の写真は出自不明のものですが、「マンガを読みながら運転する運転士」とのコメント付きでネットに流出していたものです。運転士なのか車掌なのかは判断できかねますが、少なくとも「列車の走行中に乗務員室でマンガを読んでいる」事実は否定しようがありません。

国鉄末期、労働組合の力が強かった頃の国鉄職員の質は燦々たるもので、順法闘争の名のもとに実質的なサボタージュを断行し続けました。労働組合は上層部に対する嫌がらせとして、連日に亘り列車を遅延させたのです。乗客の利便そっちのけの順法闘争に意気揚々の労働組合、しかし伏兵は思わぬところにいました。1973年3月13日朝、動かぬ列車に我慢の限度を超えたサラリーマン数千人が暴徒化し、車両や駅施設を破壊し始めたのです。世に言う上尾事件です。

労働組合は野党の支持基盤であり、またマスコミが組合に好意的な報道姿勢であったことから、どれだけ乗客に迷惑を掛ける無茶な闘争を行なっても黙殺されました。現場の上司は労働組合員の言いなりとなり、組合に対立する管理職員は多勢に無勢で組合員の吊し上げにあいました。現在の日勤教育?と丁度逆のことが起こっていたわけです。当時の組合は非常に強力で荒っぽく、組合員はときに角材を車内に持ち込んで乗客を威圧していたという、今ではちょっと信じがたい噂もあります。

さらには「列車に乗務する筈の車掌が自宅で酔い潰れて寝ていた」などは日常茶判事、果ては「飲酒による居眠りが原因での脱線事故」などを繰返すという様相を呈していました。トランスポンダ式ATS-P開発の契機とされる1984年の西明石駅ブルートレイン脱線事故も、直接の原因は機関車の運転士が飲酒し居眠りしたことによるものです。

翻って現代、かつての反動か労働運動は忌み嫌われ、経営者側の支配力が強化されることになりました。国の経済が好況のうちはさしたる影響はありませんでしたが、いわゆるバブル崩壊により、いわゆるリストラが断行され、仕事を失なうことを恐れる労働者たちは経営者の言いなりになってゆきました。JR西日本の日勤教育?については既に既報のとおりです。
JR西日本はただ、経営者の言いなりになる職員を増やし続けました。もはや運転知識を教えることさえ不要と考えたのか、一部では「JR西日本では回生ブレーキの原理を知らない運転手がマスコンを握っている」とさえ噂されていますし、JR東日本でも同様のことが起こっています(ATS-P・概論運転士も知らないATS-Pをご参照下さい)。

労働組合の力が強過ぎても、また弱過ぎても、鉄道の安全性は損なわれてしまうものの様です。

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