「ゲームを作る前にはターゲットレンダリングというものをいつも作る。
ただこういうゲームにしたいっていう企画書みたいなものだ。
最終的にそのターゲットレンダリングしたものに、50%60%70%80%と近づければ、まあ成功だ。
むしろグラは問題じゃなく、要は車が干渉しあうゲーム、いっぱいの車が走るレースゲーにしたいよ、
ってだけのものだったんだ」
2005年のE3前にこのムービーを作ったが、彼ら自身はそのE3当日までPS3のスペックを知らなかった。
E3プレゼンのスライドショーで実際にPS3の仕様が発表され、
「座ってた僕らはそのスペックを書き留めた。そしたら僕らのムービーを流し始めて、
“これがPS3で出来ることです!これをあなたは手に入れられます!”とか言い出したもので、
そこに居た僕らは頭の中で必死に“これが本当に作れるのか?”と計算してた」
「結局会社がリアルタイム(のゲーム映像)と言えば、それはそうなってしまう」
「2005年11月のソニーの委員会で僕らはモーターストームを見せた。
基本にあの有名になっちまったE3映像があったもんだから、僕らが見せるレンダリング能力に対する期待に満ちた空気がその場にあった。
そして僕らはたくさんのものを見せた。
それからそこにいたファーストパーティみんなは(Heavenly SwordのNinja Theoryとかね)営業でワールドツアーに行くことになる。
プレゼンが終わった時、フィル・ハリソンに部屋の片隅に連れてかれて、“お前らは世界最低(の開発者)だ”って言われたんだ。
その時は“その通りです。我々はそれを見せるつもりですよ”世界最低から世界で最も売れるPS3ゲームにするのを、って答えたんだ」