あの人たちはなぜにあんなにも一生懸命になれるのだろう。とても不思議である。みんないっているのが「このままだと人類は滅亡する」なんて白々と言ってのける。若い奴らが「○○するより先に人類滅亡する方が早いから○○なんて無駄ですよ」とか言うのを何度か耳にしたことがある。全くそんなことはあり得ないのに、そういう観点から人生を生きるようになっている。なんで??どうして??
全く持って誰がそんなデマを流すのだろう。不思議だったが最近ようやく犯人がわかってきた。環境保護団体の連中である。科学を軽視し、科学的視点の欠如しており、しかも感情的。「人類は滅亡への道へと進んでいる。だからそれを分かっている我々が愚民よりも先に環境保護をするのだ!」と選民主義的視点もお持ちのようだ。あるがままの自然が一番良い。科学で自然は壊されてきた。科学は万能じゃない。科学技術なんて不要。科学技術を捨て、多少の不便を人類は受け入れるべき。
極端に話したが、案外環境保護団体の90%は当てはまるのではないか。そう思わせるくらいひどいのばかりである。こんなのをのさばらせていいのだろうか。
絶対によくない。若い連中が人類滅亡を結構本気で信じている。自分たちの主張を通すためにデマを流してよいはずがない。
小さな団体の本(おそらく自主出版レベル)を読む機会があったので読んでみた。一番気になるのが、環境保護に手を染めるようになった動機である。どういう立場で彼らは環境保護運動をするのか、見てみたら、
を記載していた。さらに
だそうです。ほとんどの環境保護団体が主張していることだな。環境保護団体の根幹の部分は同じだったりする。
しません。(しないからといって無駄に使ってよいわけではない)
農薬を使用しなければ、作物の価格は急上昇し、飢える人々が増える。農薬の影響は小さく、それに対して価格上昇で飢える人々の影響は大きい。どちらをとるか。前者をとるのは単なる先進国の奢りだ
温暖化は深刻で、危険なのは同意。ただ、解決策は色々あるので、むやみにあおるのは問題。
環境問題とは無関係。すくなくとも直接的かつ密接な関係はない。(共産系の自然保護団体がこの主張をする)
後述
この記述で、環境保護団体がトンデモであることを確認させてくれた。「生物進化論=自然選択理論が、人間を万物の霊長であると位置づけ、すべての動植物より優れた存在であるとした」だそうです。そんな間違った解釈が科学一般の理解だと思ったら大間違い。進化論を理解すらしていない。そもそも環境保護と何の関係があるのか?とにもかくにも、科学を理解していないことがわかった。
「科学主義というのは、要素還元主義を万能と考え、科学の方法以外の方法を認めず、従って人間の精神性や、関係性や霊感的なものを否定若しくは軽視する、いわば一神教のような独断的発想を指す」だそうです。ありがちな科学への誤解ですね。後述。
彼らの立脚する根拠なんて、こんなものなんです。運動の根底がこれだから、ヒステリックな運動にもつながっていくのでしょうか。
科学的観念を持たない環境保護団体が多く見られるのは非常に残念なことだ。科学技術がどれだけ多くの人々の命を救ってきたことか。もうちょっと考えた方がよいのではないか。科学が多くの人を殺したこともあっただろう。しかしだからといって殺した以上の人々を救ってきたことには目をつむるのか。科学の恩恵は、地球上に住む人類全員が受けていると思うのだが。
ありがちな「多少高くても無農薬の野菜がよい」から「多少経済状態が悪くても、空や川がきれいなら良い」まで。なぜ農家は農薬を使用するのか。無農薬野菜はとてもコストがかかる。コストがかかるとはすなわち価格が上がると言うことで、それはすなわち野菜を手にできる人が減ると言うことだ。つまり価格が上がれば多くの人が飢えるということ。
経済状態が悪いと言うことは生活環境が悪いと言うことにもなる。受けたい医療が受けられない、栄養のある食料が手に入らない、衛生状態の保たれた生活ができない、など。いわゆる「生活の便利さ」が無くなるだけではないのだ。「経済状態が悪くても、空や川がきれいなら良い」などと言う人は、「人が死んでもお構いなし」という理論と同義。
「人類は滅亡したりしません」と、ごく当然なことを言うと、「いや、そんなことはない。滅亡するのだ」と自然保護団体は言いそうなイキオイですな。人類が滅亡するということにしたいのでしょうが、そうはいきません。
ただし、僕は温暖化は非常に切迫した問題だと思っている。環境問題で一番力を入れるべきはここ。さらに言うと、もっと原子力や放射能に対して正しい知識を普及させるべきだと思う。そして、国民レベルでの合意の元、原子力発電所を増やすべきだ。僕の家の隣に原発をぜひ建設してくれ。(ただし、通常の安全性は有していてくれよ!)