19期


18期? ← 戦国史演義の歴史 → 20期

主な参加国

解説

2007/01/24(水)開始
今期を総評すれば、ニュー速、軍事のニ国が主役であった。

ニュー速はいきなり君主が多重削除されるという混迷からスタート。優勝最有力候補と見られながらも、一旦は軍事に滅ぼされた。だが途中建国で復活し、自民陣営滅亡後の集団仕官により最終盤に膨張。「三国志NETはON率が全て」と証明してみせた。

そして、軍事。当初20数名の中堅国として出発し、序盤からニュー速と衝突するという不運に見舞われながらも、同盟国をはじめとする各国遺臣を取り込んで武将数の差を挽回。ニュー速を下し、その後、奇襲陣営に成り下がった自民・諸葛などを下し、初統一まであと一歩に迫った。
しかし、ニュー速との序盤の戦争における自民介入に対する電波声明以来、上層部の迷走が繰り返されており、最終的に外交のしくじりから君主および軍師役が下野。また、それらの迷走によって一般武将の信頼感を損ない、最終局面における下野の続発、オン率の急低落につながり、最後はニュー速に蹂躙された。

自民はほとんどが実在の政治家の名を持つ武将で占められ、能力的にも政治家ばかりが集まった。だが、そのネタ国家としての流れは中盤までしか続かなかった。中途半端に統一を目指したためか、ネタ施設しか建てる気が無いのに武官に登用文を出したり、寶芝林を見殺しにしたり、市況に勝つために諸葛の奇襲に頼ったり(奇襲を黙認したところを見ると自民の指示だったのだろうか?)と外道ぶりが目立った。
なお、戦争では市況を押し切れず、軍事に押し込まれ、全くいいところがなかった。

ほかにも、野球対VIPの激戦、市況国の驚異の粘り腰、諸葛国の奇襲など、ローカル的に語るべきネタは多いのだが、このニ国が常にステージの中央に立ち続けたのが第19期であった。

歴史

今期はまさに乱世だった。

  • 1501

開始時には北にVIP、野球、自民、ニュー速といった強豪国が集まり、軍事、寶芝林、市況が適度に散らばる形となった。

まず最初に動いたのはニュー速だった。VIPと野球という大国が最北で争っている間に南下し、領土を大きく拡げる。

その間に自民は大陸を横断する形で攻め続け、軍事、寶芝林、市況はそれぞれ予想通り領土を獲得していた。

  • 1510

攻め場をなくしたニュー速がコネロスに横槍布告すると、同盟国の軍事が救援で参戦。コネロスが滅亡するも軍事が着々と人数を増やし、大国同士の一騎打ちとなった。しかしそこに自民が介入、この事が後の混迷に大きく繋がる事となった。


自民は軍事に布告、しかし織田氏の発言もあり自民の参戦は白紙に・・・ この一件がさまざまな国の運命を大きくかえていく・・・


一方、中国地方では寶芝林、市況が二大勢力として力を伸ばしていた。

二大勢力ではあったものの市況が人数で大きく上回っていたため寶芝林は同盟、東側諸国との共闘路線に歩みでる。

その他の国は人数こそ差をつけられていたもののジーグvs風燕、スズメvsジャンプは対等な人数同士で戦い熱戦を繰り広げていた。結果的にはスズメ、ジーグが勝ち残ることになる。

  • 1513

すでに西側は自民の独壇場となっていた。九州、四国にも手を出し理想的な拡大を続ける。

  • 1515

ニュー速は軍事に追い込まれていた。一時は勝ちも見えていたが軍事国に周辺国の遺臣を集め人数差を逆転される。

そして建国の地、陸前に追い込まれ粉砕、ここで2連覇の夢は潰える・・・


ここで軍事君主グルードンはこんな声明を出している。

●【声明発布】再生・軍事帝国 皇帝グルードンより全国へ:「ニュース速報国の皆さん、本当にありがとうございました。 そして、お疲れ様でした。次回は是非天下統一の決勝戦で覇を競いたく思います。最後に、皆さんの新天地でのご活躍を心よりお祈り申し上げます。」


  • 1519

共闘路線で歩み始めたかに思えた市況と寶芝林、しかし二国の思い違いから対立関係に。

寶芝林が諸葛(旧グルメ)に宣戦布告したことで市況の態度が一転、戦争に突入。

寶芝林はゲゲゲ、自民に支援を求めるも、自民は(VIP戦後の復興のためか)要請を無視。見殺しにされる形となる。
また、進路を無くした軍事がゲゲゲに布告したため、寶芝林と市況はほぼタイマン状態に。

当然勝てるわけもなく、寶芝林は市況に圧倒されあえなく滅亡した。

  • 1522

軍事は順当にゲゲゲを撃破。 戦争に飢える武将達は次の相手を求めていたが、あくまで義を貫きたい一部の上層(皇帝グルードン、織田無楽斎)は自民への布告に反対。

  • 1524

しかし寶芝林遺臣が他国に流れ、また以前から市況をいいように思っていなかった諸葛、ジーグが自民と組み、市況包囲網が完成。これが後に、諸葛の奇襲に繋がっていく。

  • 1525

その流れの中で伊勢が中立、そして当然のようにニュー速が復活する。まさにお家芸である。

  • 1526

自民への不介入を貫く軍事国上層に対し、酷使様は折衷案として、自民の市況開戦から数えて12年間の猶予(※軍事とニュー速の戦争が約10年間であったため)を置いた布告を提案。布告の流れとなる。 この半端な対応に嫌気がさした一部の武将の下野を招く。

  • 1527

自民陣営の諸葛は、市況の外交姿勢を理由に市況に奇襲を仕掛けた。自民はこれを黙認。単独で市況を押せず、また軍事の参戦が近づいていたためか、利用できるものは何でも利用するという外道な態度を見せる。

  • 1528

武将数で勝っている自民・ジーグに対しても引けをとらなかった市況であったが、諸葛に後方都市を奇襲されての三正面作戦は苦しく、また、自民が市況の反撃を防ぐために諸葛を囲った(領土を割譲した)こともあって、徐々に縮小していく。

●【声明発布】◆◆2月の市況◆◆国 ミ ・ω・彡=つ≡つより全国へ:「助けてードラえもーん ジャイアンがスネオを押しのけてやってくるよー!!」(31日13時36分) 

そこで市況は以前から友好があった軍事に奇襲参戦を依頼。

だが軍事内部は方針が決まらない。
諸葛が奇襲してきたのだから奇襲してでも同盟国市況を助けようという意見から、奇襲するくらいなら下野するという意見まで、様々な意見が飛びかったが、ついに決断は下されなかった。

  • 1529

市況はついに備前一国に追い込まれる。

しかし間隙を尽き琉球にまで逃げ込む。

粘りをみせる市況だが、ついに滅亡。ラス2最有力の国は自民陣営の奇襲に泣くこととなった。

  • 1534

残ったのは自民、軍事、ニュー速、ジーグ、諸葛の五ヶ国となった。

そして再び開戦。自民、ジーグ、諸葛の連合軍vs軍事という構図となる。最初は計略で差こそあれ、人数的にはほぼ互角であった。

軍事は近江、尾張を防衛ラインとし、オン武将の機動部隊で東北を制圧していく。

  • 1537

蚊帳の外であったニュー速だが、前期、或いは陸前建国時のニュー速民が集結、市況遺臣を加え力を蓄えていた。

  • 1538

ジーグは決断を迫られていた。ニュー速に領土を割譲し対軍事戦に加えるか、或いは敵国に回すのか。

ジークは同盟はすぐに承諾したが、領土についてはやんわりとはぐらかした。

結果的にジーグの姿勢がニュー速を団結させてしまう。以前から傭兵を受け入れ、模擬戦をする間柄であった軍事側に傾くことに成り、ニュー速はジーグへ宣戦を布告、軍事の援護を受けて戦いに加わる。

堀化した尾張の争奪戦にニュー速が加わり、この方面で軍事-ニュー速連合が徐々に優勢となり、ジーグをニュー速が押し始める。

  • 1549

拮抗状態が長く続く中、計略で追いついた軍事が近江とその周辺で徐々に押し始める。

それに続いてニュー速もジーグの半分程の戦力ながらON率で勝り、とうとうジーグは滅亡することとなる。

  • 1560

ついには軍事も諸葛、自民を滅ぼし、領土を南北に拡げる。

  • 1561

ラス2に残ったのは軍事とニュー速となった。しかし人数、そして領土数でも圧倒する軍事。もはや統一は決まったも当然だと誰しもが思っただろう。

そして両国とも布告時期の相談へと移る事となる。

  • 1563

ある国宛の晒しが発端だった。そこで軍事の内情が暴露され、激怒した軍事君主の皇帝グルードンが独断で短期の布告を行なう。

明らかに早まった決断だった。軍事内部は揉め始め、下野が相次ぐ。そしてWikiでの軍事ネガキャンもあり、遺臣の多くがニュー速に仕官、人数差が逆転するという異例の事態が起きる。

  • 1567

ついに最終決戦開始。ニュー速が尾張、軍事が美濃で構えるという形となる。

圧倒したのはニュー速だった、。混乱する軍事に対し、ニュー速の士気、そしてまとまりは素晴らしく、尾張には100枚の守備が集まり、開始直後に美濃を抜いてからは息つく暇も与えず領土を拡大することとなる。

  • 1573

とうとう備前一国に追い込まれた軍事、市況のように粘る力もなく滅亡。

最後に残ったのは一度軍事に滅ぼされるも再び建国しリベンジを果たしたニュー速国だった。