1984 / 06 / 04 山本美保(当時20歳、女)山梨・甲府市


山本美保

1984年6月4日午前10時頃、「図書館に行く」と言ってバイクで自宅を出たまま消息を絶つ。
4日後の6月8日、新潟県柏崎市の荒浜海岸で、免許証の入ったカバンと財布が発見される。
失踪の3年4ヶ月後から、無言電話が4年半もの間かかってきており、すすり泣く声や
TVの音らしきもの、一度だけ妹の問いに「元気」と答える声が確認されている。
2004年、山本さん失踪直後に山形県遊佐町の海岸に漂着した女性の遺体の骨髄と、
美砂さん(妹)から採取した血液の「DNAが一致した」。

一瞬、警察が何を言っているのか理解できなかった。
思わず聞き返した美砂さんに遺体は「美保さんの可能性が強い」ことが告げられた。
混乱する美砂さんの脳裏に母文子さん(64)の姿が浮かんだ。
「突然こんなことを知ったら、どんなにショックを受けるか」。
警察には「確認した段階でなければ、母には言えない」ことを伝えた。
担当者は鑑定書のある部分を示した。「99.999…%」。
一卵性双生児の可能性を表すという数字が並んでいた。
なぜ、今になって。
失踪後数年間、何度もかかってきた無言電話は一体、何だったんだろう。
遺体が身に着けていた下着やネックレスなどは、まったく見覚えのないものばかり。
家族の心に新たな「なぜ」が重なっていった。

●柏崎と遊佐町。北朝鮮の上陸地点に関連しているのは、偶然の一致か?
●失踪後の電話は一体誰が何のためにかけたのか?
3年6カ月後の電話では「美保でしょ? 元気?」というと、かすかに「元気……」と
答えたという。この他電話口ですすり泣く声や無言電話が続いた。
●遺体が発見された山形県遊佐町は北朝鮮工作員の上陸地点。
これに関して地元警察(届出のあった酒田署)が敏感だったと考えられる。
遺留品のあった新潟県の柏崎に関しても同様。
警察は北との関連を疑っていたのでは?何かの事実を掴んでいたのではないか?
●以上のことから考えると、単純に自殺と断定すべきではない。
●山本美保さんのケースは、単純に拉致の失敗ではないか。
元北朝鮮工作員安明進氏によれば、「拉致された人が抵抗した場合強烈に殴打され、
死亡した人もいた」と言っている。
その中には海中に遺棄された人もいるという。これに当たる可能性はないか。
●また遺体漂着地点も工作員上陸地点。遺棄したことも考えられるのではないか。

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ttp://www.after.ne.jp/~miki/sukuu/junbi.htm
1981〜1990

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