内面を見ること(Looking Inward) / The Practice in Brief


内面を見ること(Looking Inward)

手早く言うとこういうこと 1954年3月17日

英文

ダンマを実践するものは次のような段階で理解していくよう自分で訓練してみてください。

訓練は、学びやすく、すぐ結果が出て、いつでもどこでも適していて、どんな年齢でも性別はなんでもいいものですが、その訓練はこの体−?長かったり、広かったり、太っていたり − という学校で、マインドで受け取りつつ学ぶことです。この身体は多くのものをもっています。粗雑(crude)なものから、精妙なものまで、それらは知る価値のあるものです。

訓練のステップ:

  • 1. まずはじめに身体がさまざまな物理的な属性から出来ていることを知りましょう。大きなところでは、地・水・火・風です。小さいところでは、大きなものにくっついてくる相(aspects)でありますが、色、匂い、形、などといったものです。

これらの属性は、定まったものではなく(無常)、苦しみに満ち、キレイでないものです。それらのなかを深く覗くなら、そのなかに何も実体がないことが分かるでしょう。それらは単に人格のない条件の集まりなのです。「私」とか「私のもの」とか呼ぶような価値のあるものは何もありません。あなたが身体というものをこのような意味ではっきりと捉えられたとき、ある一つの存在だとか、あなたの自己だとか、誰かだとか、これだとかあれだとか、あなたはどんなこだわりも執着も捨て去ることができます。

  • 2. 2番目の段階としては、精神的な現象(感受、判断、思考の形成、識)を扱うものです。これらがただ生起し、存続し、消えるという真実に焦点を当て続けてください。言い換えると、それらの本質が生起しては消え、生起しては消えと繰り返しであるのです。あなたがこの真実を探し当てて見ることができるなら、精神の現象について、いくつかの存在だとか、あなたの自己だとか、誰かだとか、これだとかあれだとか、あなたはどんなこだわりも執着も捨て去ることができます。
  • 3.実践レベルでの訓練とは単に学習したり、聴いたり、読んだりすることを意味しません。はっきりと自分の精神で見ることができるように、次の段階を踏んで実践しなければなりません。
  • a. すべての外側の関心事は脇によけておいて、自分自身の精神の中を観るのです。それがどのようにして澄んだり、淀んだりであるのか、落ち着いたり、うわついていたりするのかが見えるまで。
  • このようにするやり方は、マインドフルであって、自己への気付きを持つことです。心がぴたっとふつうの状態に定まるまで、体と心にずっと気付き続けることを行います。
  • b. ひとたび心が平静な状態(normalcy)にとどまったなら、精神の形成作用やそれらの生滅の自然な状態をにずっと気付いていられる(preoccupation)でしょう。心は空で、中間にあって、静かで、快でも不快でもないでしょう。そして心身の現象が自然にひとりでに(of their own accord).生起して止滅する通りに見ることができるでしょう。
  • c. これらの物事に自己がないことが全くのところ明らかに知ったなら、もっとその奥にあるものにあなたは出会うでしょう。すべての苦やストレスを超え、変化のサイクルからも自由となり、 不死ということ ― 死と同様に生からも自由となり、すべての生を受けたものは自然と歳を取り、病気になり、死ぬことからも分かるように、不死とはそういう両方からの自由です。
  • d. この真実をはっきりと見るならば、心は空になるでしょう。何にもつかまらず。それはそれ自身を心だともなんだとも仮定(assume)しません。他の言い方をすれば、それはほかのどんなものとも同じようにそれ自身にしがみ付いたり(latch onto)しないのです。残るのは法の純粋な条件のみです。
  • e. 法の純粋な条件を完全な明らかさで見るものは、生の繰り返す苦に飽き飽きします。かれらが世界の真実や法をすっかり知ったなら、かれらは結果をはっきり見るでしょう。まさしく現在に。すべての苦を超えてあるものを。かれらはこれを尋ねることもなく、誰かから信仰によって勝ち取るわけでないです。というのは法は、paccatam*1なのです。つまり自分自身で本当に明らかに知られるものだからです。この真実を自分のうちに見たものは、それをいつも証言(attest)できます。

(以上)


*1 おそらくパーリ語。後で調査します。