構造主義


実存主義
構造主義は関係論であり、実体論ではない。全体を実体視するホーリズムと、全体を構成する個を実体視するアトミズムの双方を否定し、事象を関係のネットワークで捉えようとする。
関係論的パースペクティヴを打ち出す構造主義は、廣松渉の「事的世界観」という概念に対応しているといえる。実体論であるホーリズムとアトミズムは、廣松渉の術語を用いれば「物的世界観」となる。
構造主義の起源は、フェルディナン・ド・ソシュールの言語学にある。ソシュールは、ある記号(シーニュ)において、意味するもの(シニフィアン)と意味されるもの(シニフィエ)を区別し、シニフィアンとシニフィエの関係を恣意的な結びつきであるとした。例えば、具体的な犬に対し、ある文化圏ではdogと呼び、ある文化圏ではle chienとなる。dogと呼ばれるか、le chienと呼ばれるかは恣意的であるが、文化(象徴秩序)によって恣意的必然に転化している。
さらに、シニフィアンとシニフィアンの差異性から、シニフィエが析出されてくるとした。例えば、色彩のグランデーションを、別の文化圏の人に説明するケースを考えてみよう。A国ではレッドとイエローという言葉しかなく、中間色はレッドと呼ばれていたが、B国では赤色と黄色の他に橙色という言葉もあったとしよう。B国の人がA国の人に、橙色という言葉を教えるにはどうしたらいいのだろうか。橙色のものを100個並べて、「これが橙色です。」と教えても、A国の人はレッドを翻訳すると橙色になると誤解する可能性が高い。赤色のものと橙色のものを並べ、「これらは赤色と呼ぶが、こちらは橙色と呼ぶ。」と教えて初めて伝わるのである。
このように、言語(ラング)においては、恣意性と差異性という重要な特徴があり、シニフィアンの差異の体系が文化として一気に与えられているということから、共時性という特徴もあることになる。
このソシュールの言語学を文化人類学に応用し、構造主義を提唱しトーテミズムなどの意味の解明をしたのが、クロード・レヴィ=ストロースである。
レヴィ=ストロースは初期の紀行文『悲しき熱帯』の中に、すでに実存主義は哲学をOLのランチのおしゃべりのようにしてしまったというシニカルな書き方が見られるが、その頃はジャン=ポール・サルトルの主宰する『レ・タン・モデルヌ』グループと親和的であった。ところがジャン=ポール・サルトルが『弁証法的理性批判』において実存主義的マルクス主義を打ち出し、歴史をつくるのは人間であり、「実践惰性態」は、他ならぬ人間の実践作用(プラクシス)で乗り越えられるとしたところ、レヴィ=ストロースは『野生の思考』を書き、その最終章「歴史と弁証法」において、公然とジャン=ポール・サルトルを排撃した。
『野生の思考』には、「モーリス・メルロ=ポンティ?に捧ぐ」と書かれており、モーリス・メルロ=ポンティ?は、自著『弁証法の冒険』においてジャン=ポール・サルトルを弁証法を失ったウルトラ・ボルシェヴィズムになってしまったと書いており、これへの反論がジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』であったことから、さらに『野生の思考』はジャン=ポール・サルトルにとどめを指す意味合いが込められていたことが伺われる。
レヴィ=ストロースによると、人間は「構造」によって規定されており、思うがままに歴史をつくることは出来ないという。ジャン=ポール・サルトルのいうコギトは、西欧のローカルな考え方であり、自民族中心主義に陥っているという。そして『弁証法的理性批判』に書かれた様には、フランス革命は起きなかったという。この批判に対し、ジャン=ポール・サルトルは、構造主義はブルジョワジーのマルクスへ最後の防波堤であるという反論をしたが、ジャン=ポール・サルトル自身、かつてマルクス主義者からの反発を買ったことがあることもあり、反論としては弱かった。
構造主義者として分類される人には、文化人類学のクロード・レヴィ=ストロースの他に、『言葉と物』を書いた哲学・歴史学のミッシェル・フーコー、『マルクスのために』と『資本論を読む』を書いたマルクス主義哲学のルイ・アルチュセール、『エクリ』を書いたフロイト派精神分析学のジャック・ラカン、『零度のエクリチュール』を書いたヌーヴェル・クリティック(新批評)のロラン・バルトがいる。
しかしながら、構造主義はジャーナリズムの用語であり、ミッシェル・フーコーは「構造」概念を使わず「エピステーメー」というその時代の知の配置を示す用語を使っており、またルイ・アルチュセールは構造主義を知の組み合わせイデオロギーとして批判していることに注意せねばならない。
また、ミッシェル・フーコーは『監獄の誕生』以降、監獄を巡る人権問題に取り組み、ジャン=ポール・サルトルとともに政治参加(アンガージュマン)を行うこともあった。ミッシェル・フーコーは、スタティックな「構造」概念を使用せず、動的な「装置」を用いた。ミッシェル・フーコーは、『言葉と物』の頃は人間の思考はエピステーメーに規定されているとし、共時態を重視し、現在のエピステーメーと次の時代のエピステーメーとの間には、地層のような断絶があるとしてきたが、その後もいかにしてエピステーメーの地殻変動が起きるのかを考え続け、ポスト構造主義への道を開いた。
ポスト構造主義者としては、他に『根源の彼方へ〜グラマトロジーについて』や『エクリチュールと差異』で、ロゴス中心主義的・音声文字中心主義的な西欧の形而上学を脱構築(ディコンストラクション)しようとしたジャック・デリダや、精神分析医で政治活動家のフェリックス・ガタリと組んで、『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』を書き、リゾーム(根茎)状の反システムを理想とするノマドロジー(遊牧論)を打ち出したジル・ドゥルーズ、『エコノミー・リビディナル』でマルクスとフロイトからの漂流を説き、さらに『ポストモダンの条件』で大きな物語の終焉を語ったフランソワ・リオタール、『詩的言語の革命』で、ル・サンボリックとル・セミオティツクのせめぎあいから歴史の変動を語り、さらには『中国の女たち』でポスト構造主義的フェミニズムを打ち出したジュリア・クリステヴァらがいる。
ポスト構造主義の特徴としては、構造主義に見られた科学重視から、再び哲学・思想重視にシフトしてきているといえる。ポスト構造主義は、構造主義の成果を引き継ぎながらも、構造主義が静的な構造の説明に終始し、動的変動の説明に際して、強度=力を事後的に持ち出していたのに対し、「装置」や「機械」という概念で説明しようとしている。そして、このシフトに伴い、再び人間の倫理や生き方を問う方向に変わりつつある。
コリン・ウィルソンは、『知の果てへの旅』で、構造主義以降の思想潮流についても論じているが、構造主義はもとより、ジャック・デリダについても、その脱構築(ディコンストラクション)に、リヒリズムの新形態しか見ていない。果たして、ポスト構造主義とポスト実存主義には、相克の道しかないのであろうか。それとも、さらなる綜合の道が残されているのだろうか。例えば『至高体験(心理学の新しい道)』で、マズローの絶頂体験について語るコリン・ウィルソンと、『チベットのモーツァルト』で、宗教体験における変性意識状態の説明に脱構築(ディコンストラクション)を導入した中沢新一といった事例を見ると、必ずしも相克の道だけではない気がするが、いかがであろう。(2005.2.13 T.Harada)