【回答】
モンゴル系民族.特に西のほうはオイラート(瓦剌)部が有力.
後の時代に,ジュンガルという勢力が台頭する.
モンゴル系がオアシス都市を支配していており,現在のウイグルは被支配者側.
同じ遊牧民でも明朝期はモンゴル系全盛で,チュルク系のカザフやキルギスが今みたいに多くいたわけでない.
オイラート(瓦剌)部の王は,ラサのダライラマからの認証という形で,ハーンの位を名乗る.
外国文献には,和碩特(Khoshut),固始汗(Gushi Khan)で検索するとこの手の経緯が書いてあり,ボルジギン氏(博爾済吉特,Borjigin)とは縁戚がないことはどの文献もほぼ一致している.
ハーンの位を名乗るために家系偽装はしていない.
14世紀頃まで遡ると,この資料が見通しがいい.
新疆におけるイスラム教の定着:東チャガタイ汗国
http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Int/it2001/it200110.pdf
明代の東トルキスタンのほうって,モグリスタン・ハン国や,その後を継いだヤルカンド・ハン国なんかが主だったよね.
あれらは,遡ればモンゴル帝国内のチャガタイ・ハン国の系統だから,モンゴル系が有力だったということになるね.
その後は,オイラトの系譜に連なるジュンガルが征服するし.
永楽帝は西域にも,陳誠・李暹らを使節として派遣してはいる.
その見聞をまとめたのが,「西域番国志」「西域行程記」.