【回答】
武装SSは,党本部や幹部の身辺警護が主目的で編制されました.
次の段階は,警察の一部として政治警察隊になりました.
1933年にヒトラー警護の為の準軍事部隊として編成されたアドルフ・ヒトラー連隊,1934年にSS内の戦闘部隊として編成されたSS執行部隊(SS-VT)に,同年,収容所警備部隊として編成された髑髏部隊,若干の警察を編入したのが,武装SSの基幹です.
後にこれら4種の部隊が,第1〜第4のSS師団になります.
外人部隊や民族ドイツ人部隊を編入して,末期にはほぼ100万の兵力を確保しました.
戦後の評価では,「第4の軍隊は不要な組織だった」です.
ナチ党とヒトラーは国防軍を信用してませんでしたので,党の軍隊(武装SS)が必要でした.
レーム事件以降,軍事的実権がSAから全て軍に移行したこともあり,万が一の手勢として確保しておく必要があった,といったところのようです.
それと共に,前線での評価を上げるため,武装SSを積極的に投入し,戦果を上げさせました.
当時の国防軍陸軍将校の評価は,「必要もない損害が多い戦闘をする」でした.
実際問題として下級将校(中隊長や小隊長)の損失は,大きな物でした.
私自身は熱狂的な戦闘努力は評価しますが,パンツァーマイヤーなどは異常な指揮官だったと判断します.
戦後,捕虜収容所では国防軍将兵は,武装SSと日本兵は民族的なまとまりが強かったと記録してます.
>陸軍の司令官が武装SSの部隊を指揮することはあったのでしょうか?
ハリコフ戦ではマンシュタインが,SS装甲師団を指揮しました.
他にも陸軍とSS合同で軍団を作ったりもしてます.
親衛隊にもSS作戦指導本部がありましたが,主に後方担当で,戦時にはハリコフの例のように陸軍に指揮権が与えられました.
いずれにせよ,詳しくは講談社メチエ「武装SS」などを読むことをお勧めします.