【回答】
それは後知恵であって,日本に限らず,どこの国でも被害が出てから慌てて対処しているし,戦争が終わったらすぐ忘れる.
戦争初期は本土が爆撃される可能性ないのに,掩蔽なんて無駄でしょ.
戦況がやばくなってから作ろうとしたところで,時間的余裕などほとんどない.
つか,小島の方が時間があるくらい.
よってすべての機体を隠せるほどの掩蔽は,間に合わなかった.
現在,田舎の飛行場跡地では,掩蔽が残っているとこがちらほらある.
第2次大戦,朝鮮戦争で繰り返し同じ目に遭った米空軍は,ベトナムでまた,滑走路に飛行機を並べて置いて,ベトコンの迫撃砲(ロケット弾)攻撃で一挙に多数の航空機を失っている.
B-57なんか,1回の攻撃で事実上全勢力を失った.
そもそも,100機以上もの戦闘機やら爆撃機を置いておくだけの掩蔽壕など作れません.
それから,そう言った掩蔽壕での作業は極めて非効率であり(燃料補給・整備など),広いところで作業する方が能率が良いと言うことです.
まして,平時なら尚更です.
戦時中ならデコイ(囮)を置いておくと言う手もありますが.
擬装については,たとえば芙蓉部隊では,牛を放牧したり,コロ車のついた擬装家屋とかを滑走路上に置いてたとか.
まあ,夜襲専門部隊だからこそできたワザなんだろうけど.
―――――― http://www1.neweb.ne.jp/wa/yamaki/sennsouisekikenngaku-kagoshima-a-iwakawa.htm 昼間は移動式の小屋2棟を据え,十数本の杉の木を立て,牛を十数頭繁いで牧場に見せかけた. また,周辺の空き地は食糧増産のため,近隣の町に無料で貸しだした. ――――――
【回答】
時間もそう,資源もそう,人手もそう,スペースもそう.
全部当てはまります.
日本軍の場合は島嶼の占領地に滑走路を造るのだけでも,現在のようにブルドーザーやパワーショベルなどありません.
専ら畚,鶴嘴など人力なわけです.
これで100機分の掩蔽壕など,どうやって作れるのでしょう.
資源だって,土盛りするだけでも,土質などもありますから,そのままでは使えない場合があります.
粘度の高い土ならまだ良いですが,砂なら盛り上げるだけでも一苦労です.
無ければ,外から持ってこないといけない.
コンクリートにするとなると,どうやって持ってくるかが問題になります.
人手ですが,畚,鶴嘴ですから,作業が全然捗らないのは自明の理です.
滑走路造るだけでやっとこなのに,その他の施設まで手が回りません.
まして,敵勢力が近くにあるなら,爆撃などがあるので尚更です.
スペースについては,爆撃yら砲撃の被害を受けないようにするには,或る程度の爆発力の範囲を想定して行うことになります.
爆風被害の半径を例えば15mとすると,少なくとも他の機体との間隔は,15m離さなければなりません.
とすると単純計算で,100機並べるだけで奥行き150m以上,幅150m以上の空間が必要になりますね.
あと,擬装網ですが,当時の日本では,布は貴重品で衣服は殆どスフで賄われています.
また,麻については,回収運動まで行われていますね.
【反論】
設営隊の機械化が遅れていたという話は良く聞きます.
しかし後半になると,ガ島の時は1月半掛かった滑走路の建設を,ハルマヘラでは20日で完成させたそうです.
”海軍設営隊の太平洋戦争”によると,
木造土留式中型機用掩蔽 230人 5日
土嚢式小型機用掩蔽 275人 18日
鉄筋コンクリート 172人 23日
となっていました.
1個設営隊が大体千人ですから,木造掩蔽壕なら5日で4つ.3ヶ月で百個作れる計算になります.
やはり,資源不足に加え,他の作業に追われ,手が回らなかったという事なのでしょうか.