【回答】
日本国内では秋田,新潟,秋田,それと台湾,樺太から産出しています.
但し1936年の段階で,国内産346,947Kl+海外から輸入し国内で製油したもの1,278,550Klです.
対する輸入額は2,570,381Klで,合わせて4,195,878Klとなります.
僅か8%しか国内産では賄えません(需要は4,157,650Kl).
即ち,輸入途絶,即国家的破局の状況です.
中国からは主に,石炭液化による人造石油工場が,朝鮮,満州に建設され,これで低質重油100万トン,揮発油2万トンが生産される形でした.
また,油母頁岩によるオイルセールより,満州にて粗油15万トンの生産が行われています.
但し,これらはいずれも低質油,粗油であり,ガソリンの様な高品質のものは殆ど作れませんでした.
1939年までに日本は5139.8万バレルまで備蓄を行いますが,1941年の開戦時には4300万バレルまで落ち込んでいます.
これは経済封鎖により,石油製品輸入量が,14%にまで激減したためで,ずっと続けられると,それこそジリ貧状態でした.