【質問】
 ハザールとユダヤ人の関係は,実際どうなの?

 【回答】
 ハザール可汗国の崩壊は11世紀頃.
 ポーランドやリトアニアへのユダヤ人流入は,1264年の「カリシュの法令」以後.
 それも16世紀のポーランド・リトアニアでのユダヤ人口は数万人で,数十万人に増えるのは17世紀半ば頃.

 ハザールの遺民がみんなユダヤ人だったとしても,旧ハザールの地を征服したキプチャクやジョチ・ウルスには,そんな大量のユダヤ教徒を抱える社会が存在した記録がない.

 それにユダヤ教に改宗したのは,ハザールの上層部だけで,住民はムスリムが多かった.
 ハザールには,ユダヤ教徒もクリスチャンもムスリムも多神教徒もおり,裁判官が宗教別にいたほど.
 カガンのユダヤ教改宗に反発して反乱を起こし,亡命したハザール貴族もいる.
 キエフはハザールの前線基地で商業も盛んだったから,貴族でないユダヤ教徒がいてもおかしくはない.

 しかしハザールは,テュルク系の遊牧民を中核とする国であったが,テュルク語を話すユダヤ教徒は,リトアニア・ウクライナ・クリミアに残存するカライムやクリムチャクぐらい.
 アシュケナジムの話すイディッシュ語は,テュルク語でもスラヴ語でもなく高地(南部)ドイツ語の一種.
 17世紀のドイツは三十年戦争で荒廃し,ユダヤ教徒は東欧へ逃れた.

 ちなみに東欧のユダヤ人口は,16世紀初めに5万人,1582年に15万人,17世紀半ばに35万〜50万人.
 17世紀に急に増えたんではなく,16世紀を通して増え続けたというべきか.

世界史板,2011/11/07(月)

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