【質問】
 ギロチンは,何で使われるようになったの?

 【回答】
 wikipediaソースだが,ギロチンは『機械的な首切りによる公平な処刑システム』として開発され,身分の区別無く使われた.
 それ以前は貴族は斬首,平民は絞首刑だったらしい.

 ただし,ギロチンはフランス革命で発明されたのではない.
 そもそもは1788年,車裂きの刑の公開処刑の場で,民衆が無実を叫ぶ死刑囚に同調してこれを逃がし,処刑台を破壊するという事件が発生.
 そしてこの事件がきっかけで,車裂きの刑は廃止されることとなり,残酷な刑に代わり,苦痛を伴わない処刑法を求める流れが出てきた.
 そのとき,内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンは,受刑者に無駄な苦痛を与えず,しかも身分に関係せずに,名誉ある斬首の刑が適用できる,「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した.
 このギヨタンの提案が1789年10月.

 フランスの死刑執行方法が,「平等に斬首」と議決されたのが,革命後の1791年6月3日.
 その直後に,斬首だと処刑される側がおとなしくしてないと失敗することが多くなるため,斧や刀では刑執行が追いつかないという,死刑執行人からの意見書も出て,苦痛の少ない機械を開発する事になった.
 当時,死刑執行人だったシャルル=アンリ・サンソンの回想録によると,このとき,
「刃は斧のように三日月型でなく,三角定規のようにすべきだ」
と提言したのがルイ16世.

 のちにギロチンと呼ばれる処刑装置,「正義の柱」の正式採用が1792年4月.
 翌年1月,ルイ16世はその機械で処刑され,10月にはマリー・アントワネットも続いた.

 死刑執行の際,ルイ16世とマリー・アントワネットは,立派な死に方をしたと言われてる.
 ルイ16世は,自分の血が祖国の礎となるようにと言い残し,マリー・アントワネットは最後まで優雅な物腰で,毅然とした態度で断頭台に向かった.
 マリー・アントワネットが,執行人の足を踏んでしまい,
「あら,ごめんあそばせ.わざとではありませんのよ」
と言ったという逸話が有名.

 貴族とかはたいがい,落ち着いて処刑されていったらしい.
 処刑場で取り乱してたのは,有名人だとデュ・バリー夫人やエベール.

 国王夫妻は2人ともマドレーヌ墓地に葬られ,王政復古の時にフランス王家の代々の墓のあるサン・ドニ大聖堂に改葬された.
 首は一緒に埋葬されたようだが,有名な蝋人形製作者マリー・タッソーにデスマスクを作らせたとか.

 ただ,フランス革命時には一方で,僧侶を船に詰め込んで沈めたり,地方反乱とか鎮圧した時に大砲使ったりと,大量処刑もしてた.

世界史板,2011/09/25(日)

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