【回答】
イギリスの場合は,幾度かの革命はあるが,基本的に慣行が徐々に制度化していくので,綺麗に線を引くのは難しい.
けど,田中英夫「英米法」※によれば,国会主権は16世紀から徐々に進行したが,最終的な国会主権の確立は名誉革命.
しかし,King in Parliamentと言う形で,国王は国会の一部と見なされる(国会の一部として行政権を行使),以降,国王・貴族(貴族院)・民主制(庶民院)が国会内で,三角形の形で相互に抑制する混合政体(Mixed government)が出来上がる.
王の助言機関だったCabinet Councilから独立したCabinetが,発生したきっかけは,外国育ちのジョージ1世がCabinetに出なくなった1718年頃.
最初の首相らしい首相が,1721〜42年のウォルポール.
ジョージ3世(1761-1820)が国王親政に戻そうとしたが,アメリカ政策の失敗や,当人の指導力不足・精神病もあって頓挫.
以降,少なくともタテマエとして国王は,「相談を受ける権利・警告をする権利」に留まることになる.
ただし,ビクトリア女王(1837〜1900)は実質的な影響力を保持していた.
混合政体の三角形崩れるのは,1832年の選挙法改正.
以降,庶民院が優位になり,庶民院の中で二大政党制が確立していく.
最終的に庶民院の優位が確定するのが,1911年国会法.
※ 同氏の,「英米法」を含むタイトルの著作は複数あり,特定不能――編者