【回答】
ラシードゥッディーンの『集史』(1314年完成)には,ジュチやバトゥの征服すべき北の諸地域の名に,「イビル・シビル」が見え,
「イビル・シビル地方の境界をなす大河アンガラ」
といった記述がある.
シビル・ハン国の成立が15世紀末なので,少なくともそれよりは以前.
また,6世紀後半には,アヴァール族が黒海北岸の「サビル族」を服属させている.
これはフンの一派で,ブルガールやハザールと近縁のテュルク系部族であった.
西シベリアには人名や地名としてSabar,Saber,Taparなどが分布しており,10世紀以前にイルティシ川上流域で栄えたポッチェヴァシ文化や,唐やチベットの文献にある「駁馬を産する国」と「サビル」「イビル・シビル」は同じとも見られる.